▼…さん:
私は、その彼の価値観も一理あると思います。特に、私が恥じらいを持つべきと考えるのは、公衆浴場や公衆プールなどの、男性が裸体になる場所においてです。私は、残念ながら生粋のゲイではないので、純粋な異性愛者であった期間もありました。そのせいかもしれませんが、バイとなった今、よほどのことがない限り、銭湯も温泉もプールも行きません。行くとしても、決して『性的な対象の男性』としては見ません。有象無象だと思って行くことにしています。理由は、異性愛者からみれば、トイレや温泉で同性愛者から性的な目線を向けられることは、嫌悪感を持つと思います。それを、もっと考えていただきたいと常々思います。
また、たいした信念も無しに同性愛者を認める人たちも、私は嫌いです。まるで、社会異常者を健常者の仲間に入れて”あげる”的な態度は、私は本来激怒するべきものだと思うのですが、何分日が浅い分、なにかと偏見の目線を向け続けられてきた方々からみると、そのことが『認められた』ことになってしまうのが、寂しい限りです。
ただ、人間の道に外れている。・・・と、こればっかりは賛成する気にはなりません。そもそも、人間の道なんてものが、わけのわからないものだと思います。地球温暖化の原因となって、資源を枯渇させ、動物を絶滅に追いやり、必要以上に生物を生産し、感謝も何も無く食する。それが、人間の道なら、いっそ外れたいです。彼のニュアンス的には”生産性がない、異性愛こそが唯一にして至高の存在”と疑わないのではないでしょうか。上記にあげたことの論拠があまりに乏しいのが現実だということを知れば、変わるのかもしれません。
生きている資格のない人間というのは、この世に少数しか存在しないと思います。なぜ、少数かといえば・・・・長くなりますので割愛させてください。
もちろん、世間における同性愛者の差別は根強いでしょう。ただ、いつか気が付くと思います。自分たちが信じていた異性愛は正常だという考えが、いかに侘しいものであるかを。もちろん、それが現実する世は、私が若い間には来ないであろうことは予測できてしまうのが、寂寥感を禁じえませんが、いつか来るのなら私はいいと思います。
それでも、これから、どんどん同性愛というものに関する問題が表面化してくると思います。それであっても、一部の宗教団体は抵抗し続けるでしょうが、それに対抗しうる強固な言い分を我々が持てばいいと思います。
どうぞがんばってください。彼が悪い人だとは、私も思いませんし、貴方が彼を好きなことも大変伝わってくるように思います。幸せにお過ごしになられますよう、心から祈っています。 JING