▼ドリアンさん:
私見で申し上げます。
阿部さんの申されることも私は正当性があると思います。ただ、多少過激な部分が多いかとは思いますが、現代におけるジェンダーフリーが、正直申し上げて屁理屈に聞こえてくるのは、私だけではないと思います。挙句の果てには、性教育のために小学校のトイレを男女”差別”するのはどうだろうか。なんていう世にも恐ろしい会話が、ジェンダーフリーの”専門家”と称する方々が会議で行われるほどくだらない部分が多いです。
ただ、性的少数者が必ずしも同性愛者に直結するか否かはちょっと判断付きかねます。場合によっては異常性愛の方も含まれるのでしょうか、お読みになっている方のご意見を是非聞きたく存じます。
そもそも、同性愛が批判されている理由が、私は正当性の高いものと、感情的でくだらないものとの二種に分かれるのではないかと思います。
正当性の高いものというのは、どちらかといえば同性愛者の権利は認めても、その対応には慎重を規すべきである。という意見なのではないかと考えます。特に同性愛者同士の結婚、公衆浴場や公衆更衣室の関係。または、性愛の対象性別と被対象者の感情を考えると、現代における同性愛者からの要求はあまりに不備が多いと思うのです。
私がいつも例に挙げるのは公衆で裸体になる、またはそれに近い状態や、性器を露出させる状況での対応の仕方です。このサイトの掲示板でたまに出ていることがあるのですが、銭湯で異性愛者の子の性器が云々。トイレで隣にいた人が云々、などなど。これは、異性愛者が女装して女性トイレに入り、女性のトイレでの行動を覗いた、といったことと同等に、相手からすればかなり嫌悪感があるはずなのです。ただ、あくまでも相手に見られている意識が無いから問題視されないようなものの、その事実をしったらかなりの人が嫌悪感や怒りを覚えるのは事実だと思います。それに加え、同性愛者は少数派。と皆さんが認めるように、少数派であるための危険性、例えば、なかなか彼、または彼女を見つけられない同性愛者に近づき保険金目当ての結婚が横行する。などの危険もあります。理由としては、恋愛対象者が少ない以上、出会いも少ないはずですから、それだけ要するに”あぶれる”人が出る危険性があるのではないかと、それが、異性間のそれよりも多いのではないかという懸念もあります。
逆に、感情的なものは固定概念や、異性愛者にある”同性を好きになる=周囲と違う=異常=気持ち悪い”という等式があると思います。これには”愛情に性別が本当に関係あるのか否か”という問題が一番重要なのだと思いますし、それ自体は対して難しい問題ではないと思います。ただ、それを正しく伝え、正しく理解している人が、それを教えるべく動くことが出来るかが重要な問題になってくると思います。
というように、ただの高校生が考えるだけでも以上のような問題が出てきます。たしかに阿部総理は過激で、しかもあまりに古い固定概念をお持ちのようですが、ある意味で言えば、上記の問題が急速に近づいたわけではなく、その対処法や打開策を考える時間があるわけですし、安部総理が長く在籍できるとも思えませんので、大丈夫なのではないかと考えます。 JING