性別二元論的な発想の一般社会での議論には、まったくもって辟易します。私は政治経済には疎いし、意識的にそういった話題を避けてもいます。ですから具体的に自民党や民主党などの各政党の主張や差異がいまいち掴めていません。ウィキペディア等で調べればわかることですが、政治についての文章を読むのはなんとなく気が引ける。それについて語ることが、知識をひけらかして優越感を得るための最も簡素で便利な道具のようにしか思われないからかもしれません。
私は告白すると、性同一性障害者(MtF)なのですが、それは障害なので優遇されます。しかしながら他の「性的少数者」への保障はありませんよね。しかも性同一性障害者への補償も国からもので、日常ではそれほど認識されていないし、奇異の眼差しで視られてしまうこともある。それはとても居心地の悪いものだし、とても息苦しく生き難い。日本では「障害者」には偏見と差別と欺瞞に満ち満ちた好奇と同情の目で視られて、傍から見れば「優しく」接せられているように思われるでしょう。「強気を挫き弱気を助け」というような、表面的には、「正義」に包まれた善行ですが、実際はそれを盾に取った、優性学的で優越感に浸るだけのための偽善でしかないように思われてなりません。
私は外見は(ブスな)女なので、余計なものが垂れていようと同性愛者のコミュニティには属せません。勿論無知故の誤った善意を寄越す一般的な方々は、「二丁目に行けば」と口々におっしゃいますが、男性が男性を愛するという前提のもとに立っている街で、「女性」である私が恋愛することなど、不可能に近いことなのでは、と思います。そこにまた、美醜差別的な価値判断に因る選定からも漏れてしまうので、私は如何様にも恋愛し難い状況があると思われます(と卑屈なことを申しておきましょう)。
或は「両性具有」である方々は如何なのでしょうか。また「性別のない」方々は如何なのでしょうか。性別が二つだけであるわけがないし、その前提によってなされる議論に不備があるのは否めない。しかしながら日本の未来を見据え、今よりより良い個々人の生き方を保証すべき国家の従属人である政治家さんの幾人がこれらを認識し、理解しているのでしょうか。そして、「性的少数者」である「私」の幸せを保証出来そうな「ジェンダー・フリー」という概念を否定する安倍晋三先生以下の諸先生方は、なにかそれに代わるより良い対案を提示出来るのでしょうか。それとも、子を生すことが出来ない不具である「私」は、日本国家の為にならずと排斥されるのでしょうか。特効的な不妊治療のない「私」は、日本国民としての権利を剥奪されるのでしょうか。保守的な立場にいらっしゃる方々は、「私」を何処か「社会主義」や「共産主義」の政策をとる国々に追放されてしまうのでしょうか。「私」の人権はないのでしょうか。
と、特殊な立場にある私の(極論めいた)主張を掲載致します。