▼ストロングカタツムリさん:
はじめまして、JINGと申します。ストロングカタツムリさんのお考えに対する私の意見をよろしければ聞いてください。
まず、私も純粋に『同性愛者』であることで差別を受けることは実は少ないのではないかと考えています。しかし、例えばキリスト教原理主義(宗教名書いてもよかったでしょうか?まずければ削除、ないし修正しますのでご一報ください。)は同性愛を禁じているため、欧米では随分と存外な扱いを受けている人が多いということは、昨今のニュースを見てご存知かと思います。
また、日本では西郷隆盛を初めとする『旧日本における男性の鏡』的な人が少年にラブレターを送っているくらいですし、仏教色の強い日本にとって男色は一般的で、国語辞典にも男娼を初めとする旧同性愛用語が随分と載っているように思えます。しかし、今、なぜそれが差別されるようになったかといえば、日本教育における『普通こそ正しい、一般的が良い、周囲と同じ=正常、少数派=異常』というものが原因なのではないでしょうか。つまり、ある意味では”与えられた価値観”によって差別を行っている人間が多いように思えるのです。
私は元々異性愛者でしたが、性別に囚われてものを考えることを良しとしない両親に育てられたせいなのか、別段同性愛も異性愛も通常の代物として考えていました。「同性愛は自然ではない」という人もいますが、人間もその自然の一部であり、その自然の行動によって発生している同性愛を自然ではないと考えている人たちの人間至上主義にもあまり賛同できません。しかし、何かと理由をつけて同性愛を差別している人が多いのは事実です。
学校において私は、同性愛異性愛の云々、を学ぶ必要性はまったく無いと考えています。なぜなら、上記のように、私はこの問題の原因を、大多数が正しい、一般的、普通が正しいとする現行の教育に問題があるのであって、狭い価値観に囚われず、より多面的な見方ができるような、そして、他人を否定することから始まるのではなく、相手を肯定することからはじめる教育をすれば、自ずと解決できると思うからです。
しかしながら、差別のある現代において生活なさってきた同性愛者の方々は、やはり大きな傷を抱えているのではないかと思います。ある意味では、人間不信的なもの、言い換えれば異性愛者不信的なものがあるのではないかと考えますが、事態を解決しようとせず、ただ目先の目的のためだけに、ありとあらゆる可能性を考えずに表面上の緩和政策を求めるのは如何なものかなぁと思います。
算数や国語、は理論構築の基礎として、理科や社会は、それらの理論構築の材料となるべき過去の事実や定理の基礎として、重要なものだとは思います。しかし、中学校の数学を例に挙げると、文字式をやったあとに1次方程式、しかし、そのあとには2次関数のグラフやそういったものは3年生になってからやる。など、いったいなにを考えてカリキュラムを編成したのだろう。と思うようなものが多いように考えます。つまり、現行の教育カリキュラム事態が異常であるのに、そこに正しいものを追加したとしても益が無いのではないかと考える、ということです。
それに加え、家庭における教育水準の低下、または現在の大人の知的レベルの低下(精神的知能レベルと言い換えたほうがいいかもしれません)も原因としてあげられると思います。家庭内における親という存在が、模範的でなくなっているのは殆どすべての人が知っているはずなのに『我が家は大丈夫』子供から指摘されると『子供の分際で何を言っているの!』と、あまりに幼稚で精神的に卑屈な大人が増えたなぁ、と感慨深く拝見させていただいている今日この頃なのですが、事態はそれほど悠長な代物ではなくなっていると思います。はっきり申し上げれば、東大を出ようが、偏差値40以下の大学を出ようが、人間性がよくなければ、そして社会性がなければ仕事を出来ないのは普通であるはずなのに『学歴社会』とよばれ、一部の”一流大学出身”だとかという低脳が随分と社会を引っ掻き回してくれたものだな、と憤りを覚えます。まずは、その引っ掻き回されたものを正常な位置に戻すことが重要なのではないでしょうか。
現代の日本が抱える問題は多く、その中には同性愛者の差別も含まれるとは思います。しかし、その原因たるやあまりにも根が深く、太いですし、挙句にはいろいろなところに根を伸ばし続けていることから、地上に出ている茎や葉をどうにかしても事態の解決にはならないと思います。そういった意味で、かなり慎重に、しかし可及的速やかに大胆に、打開策を考える必要性が有り、それには未来の日本を荷う子供たちの意見も重要なのではないかと考えると同時に、かなり時間をかけて解決しなければ、そのつけが、また出てくるのではないかなぁと思います。
よって、私は、同性愛の差別はあるが、それを解決するための緊急回避策はあるにせよ、現状における事態の根本的解決にはかなりの時間を要し、それらを解決すべきキーパーソンになりえるのは、10代20代の若者世代なのではないか、しかしそれのみでは不十分であるために、見識豊かな大人による導きが必要で、それを素直に聞くことの出来る人間を見つける、または教育する必要性が大きく、それを大多数の人間が自覚すべきなのではないか。と考えます。
長々と失礼しました。 JING