▼菱朗さん:
少々しつこいと思われるかもしれませんが、あえて言わせていただきます。
確かに、代理出産を望むというのは私は人道からそれていると思います。随分自分たちのことばっかり考える利己主義的発想だなぁと思いました。
同性愛者という生き物は教職に付くことすら出来ない。なるほど、確かに教員という職業は、未来を荷う子供達を育てていくわけですから、本来ならば社会でも人間的に見識を持ち、同時に教育する技術が卓越した人間を選ぶべきなのはわかります。であっても、子供達が同性愛者は教職につけない。と、知った時、確実に差別化が始まるでしょう。本来、ゲイなんていうものは増えるはずもなければ、次第に減っていくものであるはずです。それが異常ならば、ですが。得体の知れない、と仰いますが、私からすれば、異性愛者だって得たいが知れないですよ。そもそも、全ての全てが解明されたわけでもありません。現代人が一番傲慢になっているのは、人間が何でも一番知っていると勘違いしている点だと私は思います。無知こそ最大の恐怖だと思いますが、無知が差別を呼び、無知が迫害を生むんです。その程度の知識すらないから、性愛の対象性別の差で権利を減少させようと叫んだり、白人至上主義や、人間至上主義、はたまた古き日本のように、日本国民を指導民族などと勘違いする輩が出てくるのではないでしょうか。
貴方が仰っているのは、『奴隷階級のように、健常者よりも権利が少ない差別階級に対する暴力は感心しないが、奴らは所詮我々健常者とは違うのだから、きっちりと身分の差というものをわからせてやれ。』といっているのと、まったく同じです。
なぜすべての人に平等な人権を、と訴えた人たちが、様々な要因で権利を規制されていくことを望まなかったか。社会的には、本来権利が剥奪されても仕方の無い、例えば殺人を初めとする犯罪者もそうなのですが、そういった方もいるのに、なぜそうしなかったのか。理由は、人間という生き物がそこまで優秀ではないからです。人間が人間を支配し、権利を抑制するという行為がいかに馬鹿らしいものか。
現代の同性愛者で、はっきり申し上げて、下品で、下衆の類なのではないか。と思う人も確かに居ます。そういう人たちが対象であったとしても、やはり私は上記を訴えるでしょう。同性愛というものと異性愛というものに差があるとすれば、子供が産めるか産めないか、あとは個々人の見識の問題です。長続きしないのも、はっきり言えば当たり前。男性と女性という本質的に違うもの同士が一緒になるからこそ、合致する部分があるのですから。
ただし、同性愛が生まれて、異性愛があって、恐らく最後に行き着くのは”性別に囚われない他を愛する心”なのだと思います。また、子供を産むことが必ずしも正しいとは限りません。人間は増え続けています。自然からすれば驚異的なほどに植えてるはずです。そこで、他の生物でも見受けられますが、種を保存するために、生殖能力の持たないものが出てきたりするのは、環境ホルモンを初めとする物質だけが原因で無いということは、随分と前に立証されているはずです。
それと、どうしてもご自分の考えを通したいとお考えならば、本当にそうしてみればいい。と、前も言いました。人の前へ出て、『まずは私の人権から、同性愛者ですので規制してください。』と、恐らく誰も相手にしないか、よほど酷い扱いを受けるか、見識的な人間がいれば、治めてくれるか。いずれかだと思いますよ。どうぞ、いったい何が謙虚なのか、そして、誰が謙虚になるべきかを良くお考えになっていただきたいと思います。 JING