▼ストロングカタツムリさん:
> 自嘲的に「オカマよ」と仰る方々を置いておいて、あなたがた「同性愛者」は「オカマ」と呼ばれることを差別だとおっしゃいますが、性同一性障害者がそう呼ばれることは差別だと思われないわけですよね。
いいえ。僕は、性同一性障害の人が「オカマ」と呼ばれることは差別されているということだと思いますよ。「あなたがた同性愛者」というふうに一括りにすることの方が差別だと思いますが、それを言うとややこしくなるだけなのでやめておきます。
それよりも、あなたが以前『私は「オカマ」と呼ばれることに抵抗はなかった。それは諦めに近いものかもしれません。その頃には既にセクシュアル・マイノリティについての情報はありました。だけれど小学生には解るまい、と思っていました。それに当時の私にとっては、「オカマ」呼ばわりされることより、「デブ」と言われる方が、遥かにいやだった。それに、私に「オカマ」と呼ぶ人は、私を罵り馬鹿にしていたというよりは、身近に自分とは違った人間がいるということへの好奇心故だと思います。ですから殊更問題にはしていなかった』と言っていたことのを問題にしたいと思います。
僕は、性同一性障害の人の中に「オカマ」と呼ばれて傷つく人がいる以上、性同一性障害の人が「オカマ」と呼ばれることは差別だと考えています。また、同性愛者が「オカマ」と呼ばれることも差別だと思います。
しかし、ストロングカタツムリさんはそれを差別だとは考えていないのですよね? そうなると、元記事の文の冒頭の意図が分からないのですが。
>もしあなたが「性同一性障害者」と「同性愛者」と混同しているような方がいたら、はっきりと説明なさればよいのではないですか。
これはおそらく、
>もし「性同一性障害者」と「同性愛者」と混同しているような方がいたら、あなたがはっきりと説明なさればよいのではないですか。
と言いたかったのだと思うので、そう解釈して話を進めます。
僕は、いつもはっきりと説明しています。
しかし、テレビを見ている人、というのは、全国に数百万人、もしかすると数千万人もいるかもしれませんよね。その人たち一人ひとりに僕が説明することは不可能です。その説明をできるのは、問題となっているテレビに登場する人だけなのです。しかし、きちんと説明しない以上、あの人たちはテレビを見ている異性愛者の中の偏見を助長していると思います。