☆さん大変申し訳ありません。☆さんのコメントに差し挟ませてください。
▼菱朗さん:
あらゆる宗教において、根本の経典に”同性愛を禁じる”と、明記してあるかどうか、真実をご存じないのではありませんか? キリスト教において、同性愛を禁止しているのは、キリスト原理主義を筆頭とするものです。イスラム教でも同様で、明記はありません。『何も生まない行為はいけない』という教えが、共通してあるだけのことです。その辺で売っているような、聖典を読んで、なんでも知った気になっては、いけないと思います。根本は原本です。
ちなみに、宗教的観念が支持されるのならば、どうやって大量殺人をした宗教を許すのでしょうか。何にも殺人を許されるような経典は無いにもかかわらず、人間の勝手な解釈と目先の欲望で行動していることが、理解できないほど、幼稚なのでしょうか。宗教が支持されたのは、それにおける”倫理観”が正しかったからです。それは、開祖が居た当時最も盛況で、その弟子達の勝手な解釈は対立の理由になり、派閥分離になります。
科学的にも、道徳的にも、倫理的にも、正当性があるのなら、宗教的観念を一部混ぜても構わないでしょう。しかし、彼ら同性愛批判者の主張は『我々は、偉大なる神々(イエスなど)の仰っていることを(自分達で勝手に解釈して)遵守しているに過ぎない』これのどこに正当性があるのでしょうか。子供を産まないことが、間違いであると誰が言いました?大半の学者が、この命題に『返答不可能』と答えます。理由は様々ですが、『数が増えることは必ずしも正しいことではない、強い生物は出産の個体数を減らす。最終的に個体数が1をきったとしても問題は無いともいえる。』『自殺因子に証明されるように、生物の全てには”数を減らす”ための遺伝子がある。その手段をどのように表すかは、予測不可能である』『繁殖し、強い力を得て、何になるのか。病原体は、強い力と繁殖力を持つが、最後は死に絶える。出産優生学は、すでの過去の遺物であり、それの正統性を示す材料は何一つ無い』
キリスト教は、残念ながら動乱の時代にかなりの教えが湾曲されています。何を理由に、現在のイスラム教原理主義の戦争を、過去のローマ帝国の蛮行を是とします?
貴方の言っていることは、『あ、このカードじゃだめか。じゃぁ、次のカード。これもだめかぁ、じゃぁこれ。』理由も、原理も、ルールも、何も知らなず、表面的なものを見ただけの頭でっかちな理屈主義者が、目先のことしか考えずに、確たる理由も無く揚げ足取りに専念しているに過ぎません。どこにも正統性が無く、説得力が無く、偏見に基づき、他力本願を信奉し、他者の知識をあたかも自分の知識のように振舞う、過去の中国の古事にもそれを指す言葉が動物でありますが。そして、とにかく、自分を通す。そして、自分の否定は間違いであり、敵。自らの主張に賛同するものは、正義であり、理解者。こういった君主を”酔君””暴君””愚王”と人々は罵った歴史を知ったほうがよろしいのではないでしょうか。 JING