▼菱朗さん:
ご返信ありがとうございます。まさかご返信いただけるとは、毛の先ほども思っておりませんでしたので、望外の極みです。
さて、男色を禁じている部分を是非抜粋してみてください。原点には、ありません。『何も生まない行動』は、初期段階では『無い』となっていました。よく考えてください、何も生み出さない行動とは、いったいなんなのでしょうか。あらゆる学問から考えても、存在するのは、”行動しないこと”です。ただし、これも、1として数える場合が往々としてあります。人間は、仮定の数字として0を求めたに過ぎません。さて、子を無さにことがいけないことならば、キリスト教はとっくに”劣悪遺伝子排除”に取り掛かっています。それは、先天的に子をなさない女性、男性が、すべて貴方の言に引っかかるからです。これをやらなかったのは、『愛情は育まれる。』『労力となる』『社会に寄与する方法はある』ということです。これの全ては、同性愛者に適応されます。ですから、キリスト教の一派しか、同性愛批判をしていません。
そのレビ記にあるのは、聖職者の心得ではありませんか?キリスト自ら、厳しい戒律に着いていけないものを『愛を育め、子をなせ』と、いって励ましています。以上のことにより、それは、すべての人民に当てはめることを是としません。
多数が正しいならば、人間なんて尊重されるべきでないのかもしれません。人間より数の多いものなどいくらでもあります。仮定として、人間よりも数の多い高知能生命体が人間は家畜とするといえば、家畜になりますか。
それと、それをキリスト教信者さんに言ったら憤慨されると思います。キリスト教原理主義の信者は、少ないです。財力は馬鹿でかいですが・・・・。
多数による少数の支配など、人間の勝手な妄想による馬鹿げた行動です。真に正当性のある行動のみが、本来は正しいはずです。しかし、これでは、世の中はあまりにもつまらなくなるからこそ、人間は欲求に負けて、理想も建前も捨てて、古い看板にすがりつくのではないでしょうか。
アフリカ人が同性愛批判を強く主張するのは、古代アミニズムや、原住民であった頃からの文化にその理由が起因していることは周知の事実です。理由の無い”人間本来持っている”なんてものは、未だに解明できていません。それは、ゲノムを解読不可能である数%を除いて解読しても、残念ながら『本能』の証明すら儘ならない状況でもあります。
ちなみに、貴方が仰っている『いけないもの』の代表例を挙げます。人間が感覚的に”いけない”と思うのは、食物では 酸っぱい、苦い、辛い。そして、”青い”です。また”高い””暗い””昼夜が無い””狭い”など多種多様にありますが、それの理由は、いうまでも無いと思いますので割愛します。所詮は、過去の外的要因の結果にすい無いことであるということです。 JING
ただ、ご返信いただきましても、一身上の都合で、このサイトへのコメントを書くことをやめようと考えていますので、応える事が出来ないかもしれません。理由は、自分自身が不要で邪魔な存在かもしれない。という、元々あった不安が、だいぶ現実化してきたことと、私が原因でかなりの人を、ここで不快に止まらず、傷つけているからです。