▼楽屋シンさん:
薬屋でやんす。
道理で論が食い違っていると思いましたよ。
「なぜ私があなたの質問に答えないとアラシ行為になり酷似した楽屋シンをつかってはならない?」と君はいうが、誰がそんなこと言ったのがね。
私は「名を返上し、すべてあなた個人の考えでものをみていることを認め、」といったのだよ。つもり、一方的に質問攻め・概念に逃避するやり方は弁論の成り立ちを無視した自己中行為=個人の考えでしかものを見ていない。ということだ。
弁論にさいしもどづく常識は、もちろん弁論の常識である。それを無視して個人の好き勝手に書いているだけのやつはアラシと呼ぶほかない。
質問に答えないのと、君が人様の名前をぱくったのとは別の話、アラシ行為というのは、君は自由と称して好き勝手に書くことに対していっているのだよ。
「私がいっているのは価値観、道徳、倫理は各個人により違うということ。」という君の概念は正しい。しかし、個人それぞれ個人の意見のみをよりどころにし主張だけして、相手の反応や反論を無視するだけでは社会はなりただない。
個人の自由と、自己勝手とは違う。
では、なにをもってこの両者をわけるべきか。今の世の中は「法」を大半のよりどころとし、道徳を補佐とした。だから、常識や良識において、君の名前をぱくる行為はいけないといった。具体例は前文の通り。
「 薬屋シン氏にとっての論とは人を非難することですか? 」と君は聞くが、そうではない。意見を述べ、識をつのり、友と交流して見識を広げるゲームだと、わたしは弁論を認識している。もちろん、アラシに対して、非難もするが。
「 1.公衆トイレで私は飯などは食べない。 2.具体例はあなた自身が探してください。サイトの書き込みにおいて、真偽が判別できない具体例をあげたところで意味をなさない。」1.なら、真剣板で雑談すべきでない理由は、前述の通り。2.具体例を発表できなければ、空論どころかただの感情論にすぎず、相手するに値しない。
「 私はあなたを批判したことは一度もない。」その通りだ、具体論もなく、概念の把握もできていない君は、なにをもって、わたしのどういうところを批判できるか。
「掲示板においてアラシ行為したことはない。名前が酷似はしているが、それは個人がしっかり名前をみてないにすぎない問題。」
名前をぱくった上、このいいがかりは効いてあきれる。
「 自ら徳治を自負してるのなら、話合うには何が大事かを考えてみてください。 」
思い上がるな、具体論も概念もない上、ひとの名前をぱくっているアラシと話合うつもりはない。わたしはルールどおり、論を持って君と勝負しているのだ。君も、個人の自由と自己勝手を混同させていないで、具体論を持って正面からきたらどうだ?
それができないなら、名を返上し、すべてあなた個人の考えでものをみていることを認め、他人をとやかく言った事実を詫び、アラシ行為を管理人殿はじめ、利用者諸氏に謝罪しなさい。