ちょっと前に「後期高齢者」という言葉が問題になった。
老人を物のように冷たく扱う言葉だというのだ。
なぜ問題になるか、ぼくにはまったくわからない。
75歳過ぎの老人は知能も体力も衰退した疑いのない弱者ではないか。
ほとんどが生産活動に従事していない、
もうすぐに死んでしまうだけの極限的弱者ではないか。
60台突入したら すでにそうだと思う。
本来なら、いかに現役時代血眼に働いたとしても、老後年金などを当てにして生き続けてはならないはずの社会の荷厄介者ではないか。
それを、ああせよ、こうせよと言うに留まらず、自分達につけられた「後期高齢者」という当然の言葉までいちゃもんをつけるとは!
後期高齢者はもっと謙虚になってもらいたい。
いかに真面目に働き続け、長年月、年金のために積み立てていたとしても、
現在自分達は労働をせず、若者壮年達に労働をさせて、
その「あがり」でただ生きているだけだ、
ということを自覚してもらいたいものです。
後期高齢者は、精神的にも、肉体的にも、社会的にも、
疑いなき弱者であることを自覚してもらいたい。
かつてなら「うばすて山」にすてられる身であることを自覚して、「生かされていること」に対してもっと謙虚になるべきであると つくずく痛感するのである。