▼ルパンさん:
別段、恨みで死刑にしているわけではないことは、先ほどからずっと申し上げているかと思います。感情なんかに左右されて、判決を左右するべきではありません。時として、机上の理論が必要な場合もあります。
国によって死刑の有無は変わります。その点において、日本は死刑が存在する国です。本当は、死刑ではなく”終身刑”でも、私は良いと思っています。また、アメリカを始めとする国家に多い、罪罰の加算性が必要だと思います。
別段、家族が泣こうが喚こうが、人を殺害したことには変わりがありません。加害者の家族のこと等、論ずるに足らず。はっきり言って、そのことを気にするべきは、人々の感傷の問題であって、それを法に適応するわけにはいきません。それであっては、法の秩序が保てないからです。
陪審員制度には様々な問題があります。アメリカの法律形態なら十全な動きを期待できますが、今の日本の法律では、まず間違いなく、問題が出てくると思います。
私は、言えますし、思えます。はっきり言って、性犯罪者の大半に同じことを思います。強姦などは、非常に罪が軽いですし、あれは精神的な”殺人”行為に等しいと思いますので、より厳しい罰則が必要だと思います。
どうも、勘違いなさっているようですが、私や、国民全てが、面と向かって死刑にすると言えなかったとしても、死刑の制度が否定されるわけではありません。これが、死刑撤廃に繋がることだったら別ですが、ただ単に、それは人間がもつ”弱さ”の露見であって、心の中で『死刑はまったくいらない』から、面と向かって言えない。わけではないということを知ってください。というか、そういった論理のすり替えは非常に不愉快です。いちいち、そういったことに事例をだして説明すると、本当に面倒なので、意見に対しては、その意見への回答と、それに関する意見を述べてくださいますと、若輩者の私と致しましては感慨の至りです。
はっきり言いますが、日本の法律体制において死刑を無くすことは不可能であることを先に申し上げておくべきでした。どうやら、その点を憂慮せず発言なさっているのではなく、ご存じないので、発言なさっているように感じます。
死刑制度を無くしている国の大半が、その代償行為を求めています。罰則の加算性や、犯罪者の登録制、並びに厳罰化。これが、具体的な例です。これを先に為した上で、実は死刑制度をなくしている国が大半です。これが、先に為されない限り、恐らく国際間においても死刑撤廃を日本がすることに対しては、賛成が無いと思います。
もしも、私が死刑撤廃論者であれば、いくつか為さなければならないことがあります。それをしなければ、死刑撤廃なんて、恥ずかしくて言えません。
まず、厳罰化を訴えます。特に、性犯罪や異常犯罪においては、厳罰を持って処することを、署名活動の上で訴えるでしょう。
次に、刑罰の加算性を訴えます。まず、単なる殺人、強盗殺人、放火殺人など、あらゆる殺人において、他の罪罰をより加算できるようにします。
そして、刑罰における”終身刑”の採用と、最大限を無限にすることを訴えます。これは、死刑よりも重いと一部では言われている”終身刑”の採用で、抑止力をつくり出すこと。次に、加算性の天井を無くすことで、事実上の”死刑”を確立すること。
が、最低限先にすることです。これと同時に”死刑撤廃”を訴えます。このことは、被害者の遺族、ならびに加害者の家族、ならびに周囲の人間を配慮した上でのことです。
配慮とは、こういうことを言うのではないでしょうか。貴方が言っているのは、所詮感情論だけにおける問題であって、非常に適切でない質問すらあります。その点を憂慮した上で、議論していただきませんと、こちらと致しましても、議論の余地が有りません。 JING