▼かにさん:
個人的な意見です。
私は、科学至上主義というわけではありませんが、この世の中に、説明できないことはないと思っています。ただ、かにさんとは若干ニュアンスが異なるかもしれません。
私は、心霊現象などの怪奇現象に関しては肯定的です。これは、否定する要素が無いからです。多種多様にある体験のうち何割かは虚偽であると思いますが、すべてが虚偽であるということは、非科学的であると思います。その点から考えて、未だに発見することが出来ない、エネルギーや要素が存在しているのではないかと、考えます。
また、幽霊の存在に関しても、物質としての3次元的な要素は人間は、地球上においてはかなり解明したとは思いますが、結局目に見えるものを後付の理由で説明することは努力しましたが、それ以外になると”非科学的だ”ということで、考えることを否定している側面が有ると思います。
その点においては、ご自身で例を挙げている、超能力による犯罪対策ですが、本当に虚偽であればこんなものが世間的に認められるはずが無いと思います。ただ、誇大に説明している部分は、きっとあるであろうと思います。これは、当局の責任というよりも、日本のマスコミの責任なのではないかと考えています。
さて、話が飛びましたが、幽霊に関しても、意識やそういったものの集積体がエネルギーを生むとしても不思議は無いと思います。ただ、それが何故なのか、といえば、解明していない部分が多いから、としか答えられませんし、きっと解明される日が来ると思います。
オーラに関しても同様で、他人の根底を理解するこの謎のものは、言及すれば、その人間が生まれてから今までの経験してきた全てを集積した上に、それをどのように考え、どのように受け止めてきたかの全ての集積の結果となるわけですから、それを表現するのに、既存のものでは、おそらく説明不可能でしょうし、おっしゃっているようなものであれば、現在の科学で十分に解明していると思います。それが為されていないというのは、やはり、それ以上というか、それ以外のものがあるのだと思います。
また、死に近い人間のオーラが黒いという表現は、肯定はしませんが、死に近い人間は、生気失われるといわれるように、生気というものを表現するものが、攻勢するものが減ってくることによって、それを察知することが出来るのではないかと考えます。これは、西洋文化において、かなりの伝承が残されています。
幽霊の説明に関しても、残留思念という言葉があるように、こっそり世界各地に同じような言葉や、同じような格言があり、その点は言語学者も文化学者も言葉を揃えて『不思議・または偶然』と片付ける傾向にあります。
結局、人間がわかっていることは、目に見えていることのほんの一部なのではないでしょうか。最近では、科学者という人に2種類出てきていると思います。科学を知ったことによって、まるですべてを知ったかのように振舞っている学者と、理論的ではないこと、否定要素があるものに関しては否定するが、そうではないものには、肯定的ではないにしろ、否定はしない学者。だと思います。
実は、心霊研究というのは、日本は後進国です。
私は、かにさんは、既存のもので説明しようとしている点が、若干思考硬化があると思います。失礼でしたら、謝らせていただきますが、必ずしも、現在あるものだけが”真実”ではないのではないでしょうか。 JING