▼ユタさん:
未知の部分を残すべきという意見の根底にあるのは、解明してしまったことによる弊害を恐れるからだと思います。ただし、今まで精神とのバランスの取れていない技術は同族を殺すという最悪の結果を生み続けています。実は、麻酔の一部分にも未だに解明できていないものがあります。これは、解明できるとノーベル賞ものなのですが、人間に実験しない限り今の科学では解明不可能だそうです。逆に、どうすれば解明できるかといえば、今以上に分子レベルではなく原子レベルでもなく電子レベルを見ることができるような精度の技術が要されるようです。
これと同様のことが死後の世界にも適用できると思います。もしも、今、ドラえもんがいたら。と考えてみてください。おそらく、どこでもドアは窃盗や強盗、性犯罪の道具になり、もしもボックスはエゴの象徴になりゆくでしょう。しかし、ドラえもんの世界では何故それがないのか。もちろん、組織としての警察機構を強化しているという設定もありますが、それ以上に未来人の行動における自制心を高めているのは事実です。『技術の進歩と、精神の進歩が完全に調和された世界を子供達に、難しい理論ではなく、概念として見せたかった側面もある』とは、原作者の言葉であったと記憶しています。
つまり、現在の状態で死後の世界が解明されればどうなるでしょうか。解明しても制御は出来ませんし、それらの行動を規制することも不可能でしょう。だからこそ、解明される時期ではありません。時期尚早とは好く言ったものだと思います。
何故、科学で解明することに危険性が付きまとうのか。それは、未だに人間が『実験』を捨てきらないからだ、ということは、おそらく基本的な科学関係の方であれば周知の事実だと思います。つまり、実験をしなければ結果を確かめることの出来ない状態が、密かに異常であることを訴えています。コレに関しては、なんと言う定理かは忘れましたが、黄金定理のようなものがあり、ありとあらゆるものの基礎となる定理に当てはめることによって、その他の全ての定理を証明することができる。という命題はその一部が認められています。
はっきり言えば、私達が決めて良いようなことではないということだと思います。ここで、タブーにしてしまって、これから未来の人間はどうやってそのタブーを破るのか。というところで、また時間を無駄に使用します。『理由の曖昧な禁忌ほど、進歩を妨げるものはない』というのは、ある歴史学者の言であったと思います。
最後に、証明できないということを証明できません。これは、科学の基本原理です。ある命題における否定が正しい場合は、それを証明することが出来る。これが出来ないものは、否定できるとは限らない。というものです。亡くなられた人々は、結局現科学のみで解明しようとしたはずです。
今の科学は、自分の目に見えるもので、しかも、その表面上の事象に理由をつけて言っただけであるという酷評もあります。一応相対性理論や、ガウス平面のような虚数単位、など表面上の事象だけを理由にしていないものもあるにはあるのですが、それ以外に関しては、この酷評は認めざるを得ません。
つまり、あらゆる解明を否定する理由が明確ではない場合。どこかに、バカらしい理由があるということです。それに加え、先も述べた通り精神と知識の均衡が必要であること。これが、科学においてすべてを解明するのに必要な最低条件の一部です。宗教の歴史の解明が何故タブーなのか。何故、歴史の誤りを正そうとした先駆者の8割が他殺・自殺になっているのか。この辺を考えることによって、理由無きタブーに絡む醜悪な屁理屈を垣間見ることが出来るのではないでしょうか。
科学で命を落すことは、それを解明しているものにとっては当たり前のことで、それを憂慮していては何もできないと思います。ただし、これは個人の意思ですし、リスクの問題ですから、この点に関しては議論の余地もなく、有って当然。それを選ぶのは個人の自由ということになると思います。 JING
追記ですが、核戦争後のアニメ・映画において、人類が強い人間の奴隷ではないものも多数あります。例に挙げても良いのですが、出版物の名前を勝手に出して良いものかどうかは私の一存では決められませんので、差し控えさせていただきます。ただ、現在までの政治体系において、常に力の強い人間と(社会的強者)と力の弱い人間(社会的弱者)は存在しています。それらを、物語に加えて描くことは、角川系列や徳間系列の作者、並びに芥○賞の審査員等が述べている通り、リアリティを物語に与えるものですから、当たり前のことではないでしょうか。未来のことを物語によって鑑みるというのは、ちょっと現実離れしすぎのように思えます。