素晴らしいご意見有難う御座います。
そうですね、宗教については私ももっと勉強すべきだと思うし、
一つの選択肢しか見えない所も、私の悪いところだと思います。
私は熱心な宗教家ではないので、別に自分の家の宗教を過信している訳ではないのですが、はっきり言える事は正しい宗教は一つしかないんだという事です。
それは真の意味で、究極の意味で、ですが。
確かに私の意見は組織論等に繋がっていくと思います。
しかし、それは私の望んでいる論理ではないので、あくまでも政治から離れた論理だと考えています。
後、憎しみや憎悪を浄化作用に繋げていくのが、私の言う考えの転換だと、思っていただければ幸いです。
年齢はもうすぐ二十歳の学生という若輩者です。
なので、論理も言葉もまだ弱くて、伝え切れていない部分とか、
JINGさんが仰る通り「考えていない点」も、はっきりとあります。
目線の違いを指すのであれば、私は法改正は憎しみではなく痛みだと、考えています。
大切な人を失った痛みを、他の人にも味合わせたくない。
その心を持って法改正に望まなければそれは只の復讐と同じ、
只自分の心を晴らそうとしているだけです。
それで心が晴れればいいのですが、本当に晴れるのでしょうか。
憎しみは、憎しみしか生まないのではないでしょうか。
そういった意味で、考えの転換、ひいては、想像の力と言っているんだと思います。
私も当然善と悪がないとダメだと思います。
辛い事も、楽しい事もないとダメだと考えます。
つまり私が言いたいのは、辛い事があっても楽しい事があっても
「最高の人生だったなぁ」と他の人も思えるといいなぁ、と考えているのです。
これは多岐に渡って言える事だと思うし、ケースバイケースすぎて例を挙げられないのですが、とにかく多種性、というのは、たとえどんな立場にあっても、
という意味だと思って頂ければ幸いです。
怒り、憎悪は無意味です。人間らしさは失うかもしれないし、
怒るな、という方が無理だと思います。
けれど、そこを制御できたらいいに越した事はないでしょう。
他人に対して怒っても、お互いのなんの理解にも繋がらないし憎しみが広がるだけでしょう。
そういう風に怒ったり言い争うのが楽しい、と仰る方の心情は私には理解不能です。だからこそ、この意見は賛否両論で当然だし、全ての人間には伝わらないと思います。(言っている事が矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、矛盾はしていません)この意見の根本自体が私の価値観の押し付けに他ならない事をJINGさんにも理解して頂ければいいな、と思います。
決して大それたものではなく、人から人へ、こっそりと伝えていくものだと思います。そうしなければ、JINGさんが仰るとおり組織論等に繋がっていってしまう。
それは、私が望んでいる事ではないので。
返答できてないし論点もずれていっているかもしれません。
けれどこれが「私」の考えだし、つまらなくてもいいと思います。
私はJINGさんのお話が聞けてとても嬉しいです。
仰る通り広い心や、宗教をもっと知る事は必要だと思うので、
そこは私が改めなければいけない所だと思います。
前述した通り若輩者のガキなので、大人ならこの意見は鼻で笑ってしまうでしょうね。(笑
大人になってもこれを言い続けれたらいいなぁ、というのは、私の個人的な意見です。