▼空汰さん:
表現に関しては同意です。
後悔に関しては、私は後ろめたいものだとは思っていません。常に、あの過ちを繰り返さないために。と思える、良い材料だと思っています。そして、その行為を反省というのではないでしょうか。
ショムニは・・・・私は北海道におりますので、少々番組が違うのかもしれません。さて、世界も社会もお前の為に回ってるんだよ。という言葉は、確かにその通りです。ただ、これは受け取る人によると思います。↑の考えというのは、同時に自己神格化を意味する部分もあります。これの究極が政治における専制主義です。神授国家といったりもしますが、実質旧大日本帝国や、それ以前の幕府もそうでした。ギリシャ神話に出てくる王国の、ほぼすべてがそうです。
私は、そういった素晴らしい言葉は一つではないと思います。それらの1つ1つを吟味し、理解し、その上で構築していくものを見識というのではないでしょうか。これは、過去の偉人だけではありません。現在の小説家や演技者、芸術を体現する人の多くが、自己の素晴らしい言葉を持っているのだと思います。
殺人に関して、私は否定はしません。人を殺すのであれば、社会であれば生きる権利を奪われることを覚悟しなければなりませんし、個体であれば、他者から殺される覚悟をしなければならないと思います。これは、復讐であってもそうだと思います。
最後に、創価学会ですが・・・・これは、本当に意見が違うと思います(たがうで読んでください)。それは、私が創価学会の嫌な面を見ているからです。ご存知でしょうか、災害があったときに、上層に位置する人間が、末端信者に『助けなさい』といいます。では、上層はそれをするのでしょうか。答えは否です。なぜかといえば、私達はそれに相当する以上の教えを説いているからだそうです。実に素晴らしい意見だと思います。
あまり言い過ぎると身元がばれそうで嫌なのですが、私の祖母の兄、つまり大叔父に当たる人物が創価学会に深く関わっています。それこそ上層と言って良いでしょう。ちなみに、何故助けるか。自分が高まるからだそうです。確かに行いは正しい。でも、正しい行動というのは、正しい考えに基づいているわけではありませんし、正しい考えというのは、正しい行動に繋がるわけではありません。正しい考えに基づいて、正しい行動を為せる人間は素晴らしいと思います。それ以外も確かに、偉いでしょう。しかし、だからその考えまで正しいとは言えません。
1つ、創価学会の例を挙げます。親戚の男の子が、彼女を自転車に乗せて坂を下っていくと、一台の作業トラックが出てきて、彼はお腹を引かれ亡くなりました。彼の母親と祖母は創価学会の人間ですが、父親は仏教徒です。通常、お葬式というのは一家の大黒柱の宗教でやるのが通例ですが、彼女達は父親側の親戚一同の前で創価学会で宗教で上げることを押し通しました。しかも、遺体の目の前で、口汚く旦那を罵りながらです。
葬式の当日。そのおばあさんは、創価学会の会員の方やおばあさんの親戚の前で『いやぁ、○○を撥ねたトラックが大手でよかったよ。お金がきちっとでるからね』と、大声で言ったことを私は絶対に忘れません。そして、家でご遺骨の前で食事をしているときに、なにやら創価学会の方、その地方の御偉い方だそうですが、その方と話していた奥さんが、突然旦那さんに『○○が死んだのは、あんたが創価学会に入らなかったせいだ。どうしてくれる』と、叫んでいます。これを、その心綺麗な創価学会の方々は止めません。
一度ならず、我が家は創価学会の勧誘を受けています。もちろん、幼かった頃の私は解かりませんでしたが、疑問を持てば、怒鳴られたことを覚えています。
これが、私の知る創価学会の考えであり、実践です。池田大作がお金を集めるために始めた宗教であることは、周知の事実ですし、日蓮宗から破門されても仕方がないだけの蛮行を今でも行います。
私が知って欲しいのは、表面だけを見ないで頂きたいということです。この世の中には、慈善事業を行っている人は多く居ます。例えば、死刑囚であったある人間が、生前、若い頃から育英支援団体などに匿名で金銭を送っていることもあります。ボーイスカウトやキリスト教では、相手を助けることは当たり前のことでもあります。
では、それの全ては正しいでしょうか。心の綺麗な人間でしょうか。それは違います。心の綺麗な側面があるだけです。そして、行動によって誰かが助けられただけです。それは評価するべきことですが、全てを肯定するわけには行きません。
どうか、物事の一事だけを見つめないでください。真に素晴らしい存在というのは、いったいなんなのか、それは簡単に答えの出るものではありません。
また、この世の中に存在する宗教で、未だに全てが正しい宗教が残っているのでしょうか。根本の教えが正しいことは認めます。しかし、本当に正しい宗教と言うのが、すべて正しいとも限りません。それは、キリスト教を見ていてお気づきにならないでしょうか。だからこそ、サヴォナローラ等の例を挙げていました。本願寺蓮如や顕如を上げても良いかもしれません。
どうぞ何にも頼らずに、自分が見て、知って、その上で正しいものを判断してください。もし正しいと思う実態を知りたければ、賭けですが、狂信者にならない自身があれば、創価学会に入会するのも良いと思います。あとは、創価学会ではない大人に、創価学会のことを聞いてみてください。きっと、貴方にとっては『間違いだ、誤解だ』と思う類の答えが返ってくると思います。 JING