▼咎さん:
はっきり言いますが、現在の同性愛者が主張する代理出産は完全なエゴイズムと言って良いと思います。ただ、私は異性愛者の代理出産には、完全な否定はしません。
男性同士、女性同士の場合の弊害はいくつもあります。現在においては、という意味であれば、確実に社会に浸透していない同性愛者が親だということであれば、子供が無用の思いをしなければいけないのは明らかだと思います。次に、父性または母性が欠けます。そもそも、母性と父性に関してのみは、同性愛者に完全に求めることは不可能なことだと思います。つまり、すでに同性愛者の代理出産というだけで、子供にとってあるべき、両親の存在というものが欠けているということです。
次に、なぜ権利を与えないかといえば、例えば男性同士の場合における代理出産であれば、母性を求める権利を奪います。逆であれば、父性を求める権利を奪うことになるでしょう。そして、親には、生んだ以上数多くの義務が発生しますが、現在の社会状況において、どれだけの義務を遂行することが出来るのでしょう。はっきりいって、出来ることを数えたほうが早いのではないでしょうか。これが、子供にとって得るべき当然の権利をすべて与える。ということであれば、よほどのものだと思います。
また、子供には実母を知る権利はあると思います。それは、本当であれば精神が確立していないうちからあってしかるべきですが、打ち明かした後の子供の同意がある限り、子供が受け止められると親が判断した時に打ち明けることも可能だとは思います。
勘違いなさっている方が私は多いと思いますが、別段親に子供を産む権利があるわけではないと思います。あるとすれば、生まれるという行為の仲介役になる権利のみだと思います。だからこそ、親は子供の衣食住に加え、知的精神的教育を為さねばならないのではないでしょうか。
例えば、父性母性の問題を完全に解決し、尚且つ社会における偏見をなくし、子供が異性愛者同性愛者の親問わずに暮らしていける社会が確立するのであれば、私は同性愛者が代理出産するのも、反対はしません。ただ、私が思うだけの話かもしれませんが、とにかく代理出産を主張する人に、子供の幸せだけを考えてそれを主張する人が皆無と言って良いほど見かけられません。つまり、代理出産がエゴイズムにしかならないような気がしています。
印象操作しようという意図はありません。私は、生まれてくる子供が当然のことを当然に与えられる社会になれば、まったく異存ありません。ただ、最近の親も含め、本当に子供のことを考えて出産を考える方が減っているように思うことと、同時に子供が生まれた後に、親としての責務を果たしている人間が減ったようにもまた思います。そんな中で、心優しい人たちが子供を産めず、やむなく代理出産という方法で子宝を得るということには反対しません。しかし、それを完全に推奨することもまたできません。
私は、逆に代理出産に関して、美点ばかりに目がいっているように思います。もしかしたら、身近に小さな子供と毎日触れ合うような機会が無いのかもしれません。
私の場合は甥っ子が生まれたときから同居していましたので、夜鳴きの頻度から、何月何日に初めて歩いたかまで刻銘に覚えています。だからこそ、最初の一年間どれだけの頻度でたたき起こされるかも、なんとなくは解かります(子供によって差がありますので一概には言えませんが)。そこで、お母さんがいないとどれだけ大変かも思い知りました。例え私が起きて、ミルクを作って寝かしつけても、お母さんが隣に居る場合と、居ない場合では、恐ろしいほどに起きる時間が違いますし、おっぱいの温かさや軟らかさを感じていないと、寝付かない場合もあります。特に風邪の時はそうです。
こんな子供を、どうやって男だけで育てるのでしょうか。その間感じている子供の寂しさや悲しさは、当たり前のものなのでしょうか。生まれてきた以上母親がいるはずです。でも、同性愛者による代理出産は、母親か父親のどちらかの温もりを子供に毎日伝えることができないということになります。
だからこそ、昔から子供を産むのならば強い母親、強い父親。途中で死んではならないし、離婚してもならない。となっていったのではないでしょうか。
片親が居ない方もいます。それも私は親に責任があると思います。ただ、この場合やむをえない事情もあるでしょうから、子供が将来、それを納得できれば、その場合にのみ良いのだと思います。
子供にも責任や義務があるという人もいますが、それは親の義務を完遂した人だけが言える台詞ではないでしょうか。現実的にそうではなくても、(私はそうはおもいませんが)理想がそうでなくては、いけないと思います。
実は、私は地方の劇団で子供たちに演劇を教える立場にありましたが(あくまで代表などではありません)、そのときに一番気を付けたのは、間違えたりしたことであっても3回は許すこと、そして、子供がすべて悪いという叱り方はしないこと。最後に、きちっと子供が言うことを認めて、子供が自分で気がつけるように叱ること。並びに、どうしても悪いことは、悪いという態度で表すこと。残念ながら、これは私が考えたことではなく、お世話になった恩師の先生と、有名な社会科の先生の仰ったことを、ただ模倣したに過ぎません。でも、これで子供達は嬉しいくらいについてきてくれます。そこで学んだことは多いですし、こんなに純粋で優しい子供達を平然と裏切るような大人には絶対になりたくありませんでした。
だからこそ、私は常に子供のことを考える目線で物を考えるようにしています。そのせいか、こういった問題には非常に辛い目線になるのかもしれません。もし、印象操作を行ったという風に取られてしまったのであれば、私の不徳の致すところですのでお詫び申し上げます。が、自分の意見を曲げようとは思いません。 JING