▼敏さん:
拝見させていただきました。ただ、若干、批評している人間というか、感想を述べている人間の価値観が偏っていることは、一夫一妻制の否定と”ゲイ(彼が言う)”の結婚願望を重ねて考えている点で明らかだと思います。これは、完全に分離して考えるべきことだと思いますし、混同して考えるのであれば本来はそのプロセスを説明するべきですが、それを行わない点に、いくつか問題があると思います。
また、ホモとゲイの区別に関しては、あくまでこの人の個人的な価値観と言って良いと思います。同時に、そのことを、このサイトの筆者は述べています。
”ゲイ”が近代社会になってから発生したものだ。という意見には、同時に賛同しかねます。これは、幼少期から男娼を作っていた過去の人間を否定することにもなりますし、形だけの皇后を擁立して同性愛に走った為政者を否定することにも繋がる可能性があるのではないでしょうか。
また、”ホモ”が上下社会の結果だというのは、昔、一人の男娼以外に、別の男妾を作ろうとした人間が、嫉妬した男娼に頭を下げたという面白い日本の話があるせいです。過去の日本は、この方が言うような上下社会であったといって良いと思います。
ただ、それ以外の基本的な文に、誤りがあるとは思えません。実質的に、同性愛者が少数者で、その行動が異性愛者を納得させるような見識的な行動でないことも明らかです。また、非常に卓越した先見力があると思います。そのあたりは、マスコミへの遠まわしながらの皮肉が表現すると思います。
ただ、生殖に関する否定ではないという見解は、若干の食い違いが生まれると思います。私は、現在は過去と比べれば、国民一人一人あたりの学習量が、200年前と比べれば圧倒的に違います。そのため、生物学的な話をしても、それを信じることができます。それは、逆に現在は宗教革命といったものが無く、宗教否定があることを理由に出来ると思います。その理由は、一人一人の知識量の増量は、同時に非科学的なものの否定にも走るからだと思います。
ここでは、ゲイとホモをただの2つにしか分けなかったところで、非常に問題点が出てくるのではないでしょうか。
まず、同性愛者においては、ショタコン・ロリコンをはじめ、年下好き、年上好き、熟女好きなど、一般的に許容されているものも含めれば、その性愛の度合いというのは、かなり多くのカテゴリーがあると言って良いと思いますが、ここにおいては、同性愛者は2種にしか分けていません。その結果、語弊や勘違いを産むと同時に、説得力を欠く結果になったのではないでしょうか。
ポイントとしては、同性愛者という集団を男女で分け、その上で、戦国時代なんかには多くあった、若い男娼を作るというサイトの筆者がいう”ホモ”の定義ですが、これについては本当に好きだったという場合もあるでしょうから、今で言うようなショタという分野に含まれると思います。ただ、問題は『社会的に、男娼を持つことが、当たり前で、その根底には女性差別の考えがあった』という見解が本当に正しいかどうかです。その考えは、様々に取れます。一部の人間は『社会的に、権力者が同性愛、しかも少年愛を是正したのは、別段女性差別の結果ではなく、女性差別をダシに使っただけで、問題は、それが当たり前の考えとして定着させることができた強大な権力と支配社会のほうにあるのではないだろうか』という意見も出しています。つまり、過去の同性愛を現在の人間が100%理解することができない以上、それの細かい精神行動を考えるには、無理があると私は思います。
つまり、現在の同性愛の精神傾向や性愛対象の傾向を考えたほうが私は確実性があると思います。それを過去に当てはめてみて、実際に過去もそうであったかどうか、確かめるほうが良いと思うのですが、そのあたりは言及しません。
結局のところ、このサイトの論評は、確かにある程度の知性の上で確立されたことは言うまでも無いのですが、正しいと言うわけでもなければ、一般論というわけでもなく、あくまで”個人的考察”に近いというか、ほぼ近似値であると言って良いと思います。
現在のところ、正しい同性愛の知識というのは無いと思います。あれば、偏見なんて本来は消えますので。まぁ、正しい知識があってもなくならないこともあります(例えば、核問題なんかは良い例で、危険性は承知のうえでも、別のエネルギー開発は考えないことを挙げれると思います)。
というわけで、これに関しては、自分で考えて、自分で否定できるようになるのが一番いいのではないでしょうか。以上のことより、私は、このサイト内でのゲイとホモの区別方法というのは、あくまでサイト筆者の個人的な考察であって、完全に正しいものではないと思います(極論の1つだとは思いますが、あまりにも同性愛や異性愛、恋愛感情など、科学的に完全解明できていないものを材料にしすぎだと思います) JING