▼空汰さん:
>今すぐ廃案すべきだ。
>何が差別かを決める事が既に差別であるという事をこの人達は分かっていない。
>差別というのは、複数の人間による不当な暴力(物理的であってもなくても)で、人間によってものさしが違うから、そもそもそれが差別かどうかなど、法律で決められる訳がないと思う。
>例えば、人権擁護委員の人がゲイ嫌いだったら、ゲイへの差別をなくす活動にあえて着手しないという事もおおいにありえます。
>問題は、人権擁護委員の人数が少ない事、人権擁護委員が差別と決めてしまえば、止める者がいない事。
>これではバラエティ番組で「死ね!」といっただけで差別になってしまう。
>差別をテーマにした小説が書かれる事を禁止されてしまう。
>その一番の影響と見られているのが、インターネット。これはおそらく、大々的に規制されるだろう。
>止める者はどこにもいない。止めれる者もどこにもいない。
>こんな不当な法案があってもいいのだろうか。
これに関しては、多くの議論を呼ぶかと思いましたが、黙殺されている現状が確かにあると思います。
しかし、まずは”差別”という言葉の意味を知らなければならないのではないかと思います。差別、と一様に言ってしまいますが、本当に誤りなのは、おそらく偏見による差別だと思います。はっきり言って、性差別は偏見を持たないで公正に行えば必須なことだとも同時に思います。
私は、人権擁護法案というよりも、平成における治安維持法だといっていいと思います。もちろん、私個人の考えだけではありませんが、その内容は、どこをどう考えても民主制を利用した専制であることに疑いの余地はないといっていいでしょう。
しかも、これは教育基本法の改正とも若干の合致点があったのではないでしょうか。私の場合、あの子供の心を無視した大人の勝手な理屈を正しいなんて認めたくはありませんが、人権擁護法案が完成すれば、十中八九いじめた人間は、罪悪人として扱われることでしょう。残念なことですが、犠牲となるのは子供たちが最初になるのではないかという懸念が私にはあります。
日本型社会主義とまで言われた境地がこの法案に含まれているのかもしれません。反対する人間は、少なからずいるはずですが、烏合の衆である限り意味をなさないと思います。できれば、もう少しこの法案に関して、社会の機運が”再考”というものになることを願います。 JING