ごめんなさい、『結婚って』という主題ですので『結婚』そのものについてお話を伺いたいです。
前にも述べましたが、『結婚』自体に矢吹さんのおっしゃる
1、もし同性婚が認められれば世間の同性愛に対する認識が変わる(身近になる?)
2、自分がゲイであることを隠さなくなる
3、ゲイの世界が開放?されゲイカップルの別れる率が低くなる
これらの力があるとは思えません。
矢吹さんはどうして『結婚』にそこまでの力があると思うようになったのですか?
また矢吹さんのおっしゃる『結婚』ってどういうものですか?
僕の結婚に対する考えは前の投稿に書いた通りです。
それと矢吹さんの主張ですが
僕にはそこまで妄信的に「同性婚」にこだわる理由がわかりません。
ゲイである事を隠すとか隠さないとか、好きな人といつまで付き合うのか、男が好きだと宣言するかとか…
全部個人的な事で、法律で肯定を促すようなものではないと思うのですが…
今の時点でカミングアウトする人はしてるし、いつまで付き合うかとかは自分の意思だけではどうにもならないと思います。
差別されるのが怖いからと隠す人がいてもそれは別に悪いことではないのでは?
なぜなら例え国が「今日から同性婚認めます。」と宣言しても同性愛をバッシングする人は変わらずするでしょうし、しない人は元からしませんよね?
同性婚が実現したヨーロッパではゲイへの差別はなくなりましたか?
同性婚によって世界がこう変わるという矢吹さんのおっしゃった事はこう変わればいいなぁという理想では?
矢吹さんのおっしゃるゲイに関することは全て『個』の問題であるように思います。
僕らはゲイとしてゲイの社会で全て帰結しているわけじゃないですよね?
それぞれ学生だったり、仕事があったりゲイの要素を持たない人とも協力して生活してます。
性、恋愛、同性愛これらは個人個人を形成するとても重要な要素ですけど、それが
全てじゃないですよね?
自分がゲイだと特別視しない、むしろ髪や目の色と同じように受け入れて普通に生活する。日々仕事に追われながらも夢を持ち、自分がゲイだからと何か言ってくる人がいれば時には戦い、時には受け流して自分の生活を確立させる。
当たり前の事ですけどこういうのがゲイだという意識の革新にはつながりませんか?別に特別なことじゃないんだよっていう…
何をするにせよ最終的には『個人』であるんですから。
そういうの出来てるひとは普通にいます。
気がついた人から始めて、ゲイだからって悩んだり落ち込んでる人がいれば目の届く範囲でいいから一緒に悩んだり、励ましたり。
そんな風に普通にしていけばいいんじゃないかなぁって思うのですが。
ゲイは特別だから保護しなくちゃって言ってるうちはずっと特別なままじゃないでしょうか?