確かにその通り。
10代〜20代の人に質問したら、教師が授業等で生徒に「あまりイイ意味の曲ではない」との理由で教えないってことがあるらしい。
これは個人的意見の押し付けではないのか。
魚が嫌いな親が「魚はマズい」と教えれば、子供が魚を食わず嫌いになるのと同じ、刷り込み教育ではないのだろうか。
教師が教えずとも自分で調べれば歌えるだろう。
歌いたいなら自分で調べればイイ。
確かに、そう言い訳できるだろう。
だが、違うのではないか。
教師が教えるべきは自分の感情や主観的意見ではなく事実と真理ではないのだろうか。
偽りの平和を唱う腐敗した国家を批判したい気持ちは分かる。
だからこそ、少年少女は教師が国歌を批判することを国家への反抗だと間違った理解をしてしまうのではないか。
戦時中に歌ったからこそ、君=天皇であるとの認識が広くされているが、君とはもっと広く捉えられないだろうか。
愛しい人、大切な人…と。
そう考えれば、とても素晴らしい歌ではないのだろうか。
いや、たとえ君が天皇であっても、憲法には「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」と書かれているため、天皇個人ではなく、日本全ての平和を唱っているものと捉えることはできないだろうか。
表現すべきは、本当の日本の平和であり、現在の政治への不満ではないと理解してくれる日はくるのだろうか。
柄にもなく真面目に話してしまった。
まぁ…学校が生徒を拘束してるのに、学校を動かす教師がそれじゃダメでしょって思うじゃん?
漢字や数式を覚えさせるだけが教師の仕事じゃない。
社会に負けない人間に育てるのが教師ってもんでしょ。
なら、自分の意見をぶつけるだけじゃない。
何事もポジティブに前向きにプラス思考でいこうって育てるのも大切でしょ。
批判してれば強く見えるよ。
それで周りの気を引ければ尚更。
でも、それじゃ本当の強さじゃない。
群れることが強さじゃない。
批判してれば正しいってのは間違ってる。
とりあえずこのへんにしとこ。
つか、日本の国歌をとやかく言う前に、アメリカさんの国歌の和訳でも読んでみたら?
日本の国家をどんだけ歪めて解釈しても、あれにはかなわないからさ。