えっと、愛に付いてですが……
不純な愛も愛だと思います。
それを認めないと、愛はどれが愛でどれが愛でないかになります。そう言ってましたよね?極論ですが最後には純愛だけになり、さらに進んで純愛の中でも選別されワンパターンだけで良いんじゃないかという結論になると思います。
説明するのが面倒なので、人間はロボットじゃありません。と
あと、ごめんなさい、愛とは何でしょうか?この質問は広すぎましたね。
あれが愛でこれは愛でない。この議論は僕の中では無意味です。
僕は愛とは何のためにあるのかを知りたい。
質問を間違えた様ですね☆
僕の文章でも、貴方の文章でも、『愛は愛であって形はない』
とあります。
形はない。故に個人レベルでは全てが愛です。幼く、無知な愛も、寛容で熟知された愛も全てがね。
僕のなかでは何が本当で何が嘘であるか、本物、偽物。
まったくもって無意味。
当人にとって、良いか悪いかそれだけです。これだけは議論の余地はありません。
ただ、ある程度の広い知識や大切な物事を判断するときは自分の足を運んで、それを目で観て、耳で聴いて、手で触って、は…はなっ……匂いをかぐ。
直接話す。団塊の世代の人々を僕は尊敬しています。
これらの事は一から創る時代を生きて来た人々つまり、今の団塊の世代の人々が実際行ってきたことだからです。
だから、何が愛で何が愛でない。この議論は以上です。