▼よーすけさん:
>さらにもう一度私の意見をご確認いただきたいのですが、私は貴方が「異性愛者は気軽に風俗に行くのに同性愛者がハッテンバに行くのを非難するのはおかしい。」とおっしゃるからハッテンバは風俗ではなく、それ以下のものであるから異性愛者だけでなく、社会的にみても問題だろう、と申し上げたのです。つまり異性愛者が言おうが、同性愛者が言おうが、ハッテンバに対する認識は変わらず「問題である」でなければおかしいし、それを異性愛者が言ったからといって「差別だ」と言うのは間違いではないか、と私は考えているのです。そしてその理由として、貴方が「興味深い」と感じられた内容を申し上げたのですよ。
これもよく、出されることですが、そもそも、異性愛者は発展場の存在すら知らないのが普通です。私は、異性愛者が、「発展場がキモい」とか、「同性愛者は発展場へ行くから、認めるわけにはいかない」などと発言したのをただの一度も聞いたことがありません。
明らかな事実は、「発展場」という用語を使って、同性愛者について論じるのは、常に、同性愛者であるということです。
「発展場」という用語を使って、同性愛者を非難するのは、ヘテロセクシズムを内面化した同性愛者が、同性愛者を非難する場合であるのが普通です。
よーすけさんは昨日の投稿で異性愛者の「驚き」を取り上げました。
「あなたが驚くのは、同性愛者の存在をこれまで、無視してきたからである。」あるいは、「あなたが驚くのは、異性愛者の視点でしかものを考えていないからである。私の視点からは、それは驚くに値しないことだ」
このような文脈で、驚きが、同性愛差別と関連付けられることがあるかもしれません。しかし、厳密には、「驚き」=「差別」でないことは明らかです。