▼矢吹さん:
>バカの定義は人様々であるからありませんよ。
>
>もう一度書きますよ。
>
>その個人の生きている時間をどのように費やそうが自由。分かりますか?あなたの言う議会なんやらもそれに従う従わないの選択を決めるのは自分自身。法を守る、守らないも自由な個人の選択。その個人の選択の結果の多数が国や社会。
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>民主主義の基本は人の気持ちを限りなく尊重することにあります。それは個人の自由な意志を大事にすること。
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>人が生きることは、自由な気持ちにあるんですよ。ある事柄の良い悪いは最後は自分の気持ち次第。
>本に書いてあるから良い。常識だから良い。
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>それらを踏まえて自分が判断し選ぶんですよ。
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>そういったことをハッキリ認識できるから、人に優しくなれるのではありませんか?
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>相手の生きている時間を大事にすることは、相手の気持ちも大事に思えること。
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>国や社会、その他すべては人の気持ちの集まりなんですよ。
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>自分が見て聞いて感じて。それらはすべて自由。
すべて議論がさし変わっています。もう一度ご自分がはじめに書いたことを見直してください。バカの定義が人さまざまである以上、それを前述する必要があります。でなければ、説明しない人間は”バカ”という人も現れるでしょう。
次に、社会に属している以上従うも従わないも自由という人間を排除することは十分可能です。もちろん、そこまで覚悟した上で従わないのであれば構わないでしょう。ただ、人の自由な心に従っているわけではありません。単純に欲望に従っているだけの人間もいるでしょう。それを自由というのであれば、最高に自由な社会は自然界になります。
そして、残念ですが私自身正しいか正しくないかは、私が判断した上で出典を乗せるというだけの話です。当たり前ですが、人間が持つすべての知識には出典があります。出展なくして得た知識は遺伝子的な獲得形質のみではないでしょうか。
社会は人間だけのものではありません。人間以外が構成しているのも社会です。はっきりいって、自然界そのものが何かの集まりであることには変わりありません。人の気持ちの集まりなんていうのは、単純に人間至上主義に陥っているだけの話です。人間なんて代物は、自分の欲望すら抑えられず、他人の痛みを理解することもできず、自分の体のことも知らない。その程度の”下等”な生物といっても過言ではないでしょう。
最後に、あなたの仰っている事には一貫性、説明、すべてのものがありません。これは会話というのではなくて、戯言、うわ言の類であると同時に、ある種の人間に同じ行動が見られます。もう少し、ご自分の文章を推敲なさってみてはいかがでしょうか。 JING