▼JINGさん:
> それに対し、教育の学力水準が下がって原因は2つで、1つは文科省の指導要領のミス。もう1つは現場教師の実力不足。の2つです。これ以外には、家庭力の低下が認められますが、それを差し引いても2つの原因は大きいと思います。
確かに学力低下や教師の実力不足を含めた問題は大別すればこの2つです。しかし、「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、たった二つの原因の裏側にはたくさんのあらゆる原因があるのですよ。この裏側を無視するべきではありません。文部科学省の問題については、僕が議題に出したことではないから敢えて触れないとして・・・ なぜダメ教師が増えるのか・・・これには勤務形態が酷すぎて、本人の甘えなどではなく、様々な業務に手が回らないということがあります。そのため心にゆとりがもてない。時代背景の変化などなど。挙げればキリが無いかもしれませんが、たくさんの裏側の理由を考慮せず、たった2つが原因だと言ってしまうのは物事を深く考えていないということになりますよ。
> いじめの問題について、先生が黙認しているケースは非常に多いです。
黙認しないで、真剣に取り組んでいる教師も非常にたくさんいますよ。悪いところだけをかいつまむのは得策ではありません。
というより気づかない場合が多いでしょうね。生徒は教師に気づかれないようにいじめをしますからね。というと、いじめを発見できないとは何事か、といわれるのでしょうけど、勿論いじめを発見して解決するのは教師の役割であるし、教師はそれに努めるべきです。しかし、理論上はいじめを発見できないのは教師の職務不履行ですが、事実上いじめを発見して解決して再発させないというのは、数字やデータを使った作業ではないから、成功したのか否か明確な根拠などがないんです。
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> 次に、教科書ワークに関しては、学校に自由裁量権が認められています。事実、その経費もきちっと存在しています。
ですから、公立義務教育が私立より生徒の学力レベルが低いのは当然であるから(一つ前の僕の書いた文の通り)、自由裁量権を行使しても、私立よりハイレベルな教科書やワークを使用することはできないんです。やったら学力レベルの低い児童生徒の切捨てになりますからね(これも一つ前の僕の書いた文の通り)。それに自由裁量権があるとしても、公立義務教育は晩に保障する公の性質を持つものだから、基本的に学校によって学力を含めた差がでないように、統一を図らなければなりません。そうしないと国が万人に平等に提供するものなのに、学校によって差がでてしまうのは不公平ですからね。
学校の先生が推薦する教材や、良いというワークに限って特に中学は良いものがありません。
これはあなたの主観でしょう。そもそも良いワークの定義はなんですか。私立より若しくは私立と同等のハイレベルなワークは使えないというのは前述したとおり。
わかりやすいわかりにくいは、かなり主観が入るため人によって違うためなんとも言えない。知識だけではなく教養を深められるワークでしょうか。しかし、あらゆる学力レベルの児童生徒がいる公立学校では、教養どころか知識を身につけるだけで精一杯な者もたくさんいるんです。(全体の学力を向上させる難しさも一つ前の僕の書いた文の通り)
> 次に、塾にも底辺の学生さんは来ます。それにあわせるのが教育ではなくて、向上させるのが教育です。せめて、偏差値50まではあげてあげたいと思うのが、塾の講師でしょう。そして、学力を下げないようにすればいいと考えるのが、またはカリキュラム終わってればいいと思うのが教師ではないでしょうか。
完全にあなたの主観です。他者がどのように思っているかを判断することは不可能です。せいぜい想像する程度にとどまります。それにしたって、これは主観としかいえません。
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> そして、面白い試算があります。ついに、東大合格者で塾に行っていない人間の変化の割合が増えてきたということです。これは、お金がなくとも十分日本最高の大学にいくことぐらいはできるようになりつつあるということと、実はお金がないといいながら、奨学金や各種の補助金制度を知らない人が多すぎる現状もあります。私自身、母子家庭ですが一応大学に通っています。一般家庭よりは年間の収入は少ないと思いますが、それでも何とか大学に通うことは可能です。問題はあきらめてしまっていることではないでしょうか。
あくまでも増えてきたというだけです。奨学金制度を利用したとしても、結局自分で返済しなければならないわけで、金持ちより不都合であることは明白です。あなたの家より貧しい家はあるのですよ。何とか大学に通うことは可能ですって、母子家庭や低所得家庭の中にも、階層があるのですよ。
それと、大学にいくのを諦めてしまう人たちのことは議題の外のことなので、これ以上は答えません。
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> 教師の衰退と市場原理は実は一致しません。なぜなら、十分に教員は給料をもらっているからです。もらっていないと仮定したとしても、昔からもらっていない点は変わらないということになります。つまり、現在と過去の教育水準が変わったのであれば、それは教員の質が換わったということになります。であれば、現在の教員の質を考えると、低くなったといわざるを得ないのではないでしょうか。
僕は教師の衰退と市場原理が一致するとは言ってませんよ。公立は一定水準を保っているべき国の保障制度であり、私立は利益を求める団体である。だから私立は公立よりハイレベルでなくては入学者が集まらず、ビジネスにならないし、市場原理でやっていけない。でも公立は一定水準を保つのだから、公立が私立より学力レベルが低いのは当然だし、間違っているわけではないと言ったんですよ。
教員の給料は普通に生活するには十分にありますよ。しかし、これは基本給の話ですよ。あまりに残業が多いのに残業代はゼロ、休日に部活動の指導を一日しても特別手当はゼロ。大会に引率してもゼロ。これをあわせれば、基本給だけでは到底労働に対する正当な代価が支払われているとはいえません(詳しくは一番最初の僕の書いた文の通り)。
勤務形態は昔と大きく変わっているんですよ。昔の教師は休日が多かったんです。でも行政の教育改革につれてどんどん忙しくなり、生徒と直接関係の無い雑務が膨大な量に増えていったんです。でも残業代や特別手当ては出ない、だからストレスの蓄積、精神病の発病、あらゆる仕事に手が回らないといった事態を招くということがあるのですよ。
もし時間があれば『教師格差ーなぜダメ教師が増えるのか』という本をお勧めします。