勝手に補足(?)するようで恐縮ですが、ちょっとだけ失礼します......
>確かに学力低下や教師の実力不足を含めた問題は大別すればこの2つです。しかし、「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、たった二つの原因の裏側にはたくさんのあらゆる原因があるのですよ。この裏側を無視するべきではありません。文部科学省の問題については、僕が議題に出したことではないから敢えて触れないとして・・・ なぜダメ教師が増えるのか・・・これには勤務形態が酷すぎて、本人の甘えなどではなく、様々な業務に手が回らないということがあります。そのため心にゆとりがもてない。時代背景の変化などなど。挙げればキリが無いかもしれませんが、たくさんの裏側の理由を考慮せず、たった2つが原因だと言ってしまうのは物事を深く考えていないということになりますよ。
精神疾患の教職員が増えてきている、というデータも、教師の過酷な勤務実態を示唆しているのでしょうね。
勿論、精神的に弱い教師がいる、という可能性もあるのでしょうが。
ソース:ttp://www.mental-g.com/news/news061222.html
>黙認しないで、真剣に取り組んでいる教師も非常にたくさんいますよ。悪いところだけをかいつまむのは得策ではありません。
仮に悪いところだけを掻い摘んでも良いのだ、と考えても、やはり批判だけに終始するのは
よろしくないでしょうね。
どんな議論でも当てはまる話ですが、批判をするだけ、というのはあまり好ましくないと思います。
極端な言い方をすれば、批判だけなら誰にでも出来ますから。
(「的を射た批判」はそう簡単でもないですが。)
批判はあくまで「きっかけ」にすぎず、一番重要なのは、「批判」を踏まえて、「どのように
改善していくか」という「代替案」「改善策」の提示だと私は思います。
代替案や改善案の提示はそう簡単ではないですが、たとえ下らなくても・抽象的でも
何らかの考えを示す方が有意義だと私は思います。
それを叩き台にして議論が深まることもあるわけですし。
>というより気づかない場合が多いでしょうね。生徒は教師に気づかれないようにいじめをしますからね。というと、いじめを発見できないとは何事か、といわれるのでしょうけど、勿論いじめを発見して解決するのは教師の役割であるし、教師はそれに努めるべきです。しかし、理論上はいじめを発見できないのは教師の職務不履行ですが、事実上いじめを発見して解決して再発させないというのは、数字やデータを使った作業ではないから、成功したのか否か明確な根拠などがないんです。
イジメの「予防」に関しても、判断が難しいでしょうね。
仮にイジメを予防出来たとしても、「予防出来たかどうか」なんて誰にも分かりませんしね。
「イジメ対策をしたらイジメが発生しなかった」という一つの事実を見ても、「対策を講じた
おかげで発生しなかった」という可能性も勿論ありますが、同時に「もともとイジメが
発生するはずもなく、実際イジメは発生しなかった。教師が空回りしていただけ」という
可能性もありますからね。
第一、「予防」されれば平穏な日々が続くだけですから、たとえ教師の努力のおかげで
イジメが予防されたのだとしても、その功績に気付く人は少ないでしょう。
効果の有無が分かり難い上に、仮に予防が上手く行っても、評価されるとは限らない。
「予防」の話が複雑になる理由の一つですね。
予防犯罪学が脚光を浴びにくかった理由の一つと全く同じに見えます。
>ですから、公立義務教育が私立より生徒の学力レベルが低いのは当然であるから(一つ前の僕の書いた文の通り)、自由裁量権を行使しても、私立よりハイレベルな教科書やワークを使用することはできないんです。やったら学力レベルの低い児童生徒の切捨てになりますからね(これも一つ前の僕の書いた文の通り)。それに自由裁量権があるとしても、公立義務教育は晩に保障する公の性質を持つものだから、基本的に学校によって学力を含めた差がでないように、統一を図らなければなりません。そうしないと国が万人に平等に提供するものなのに、学校によって差がでてしまうのは不公平ですからね。
さらに高みを目指すのであれば自分でやれ、というのが筋でしょうね。
あるいは私学に通うか。
義務教育は国民全員に最低限の知性を身に付けてもらうことを重視しているはずですし。
そうなれば、教材のレベルがあまり高くないのも仕方ないとも思えます。