>もちろん全ての被害者や遺族(以下被害者)が
>極刑を望むとは限りません。
>
>しかしながら、上記理由では個人(現状では国家)に
>よる極刑を廃止する理由には全くなりません。
>
>いいですか?もし極刑を廃止してしまったら、極刑を
>望む被害者の権利は一生行使されないままなのですよ?
そもそも、現代の法治国家は、そのような権利は明確には認めていないのではないですか?
被害者感情への「配慮」というものはあるのでしょうが。
国家による処罰、というシステム自体、報復を認めないものですから。
>一体誰がどういう理由で彼らの権利を奪うことができるのですか?
これは、「何故死刑廃止論を唱えるか」ということですか?
それとも、「何故国家が処罰するのか」ですか?
後者は、先のレスで「なぜ私刑が禁止されるのか」の理由で述べたはずですが。
「復讐の連鎖による治安の悪化を防ぐ」ためではないか」と。
復讐が連鎖し、殺し合いが日常的にあるような世の中で生きたいとは、私は思いません。
何より、世の中の人間関係は複雑で、色んな人が予想しないところで繋がっていたり
しますから、一人に復讐したら、数人の恨みを買う、なんてことも十分に有り得ます。
(復讐して良いのは血縁者だけ、とすれば、それも復讐する権利の剥奪です。)
そして、恨みを抱いた人が復讐し返して、また多くの人の恨みを買い......
ねずみ算式に復讐が広がりそうな気がするのですが。
また、復讐が常に上手く行き、ターゲットとした人だけを殺して終了、となるとは
限らないでしょう。
例えば、銃殺しようとしたら、弾が逸れて予期せぬ人を殺してしまった、ということも
あるでしょう。
復讐が広まれば広まるほど、巻き添えの危険も増えるのではないでしょうか?
勿論、復讐してやりたい、という感情は誰しも抱くものであって、それを非難するのは
難しいと思います。
私だって、身内や親しい人を殺されたら復讐心を抱くでしょう。
ですが、「復讐の連鎖」は断ち切らないといけないのではないでしょうか。
世界の紛争地域でも、復讐の連鎖が見受けられます。
それはエルサレムだったり、バスク地方だったり、イラクだったり。
(テロはそういう要素が強かったりします。まぁ、そもそもテロ自体が曖昧な概念
なんですが。「明確に定義出来ない」と学者でさえ言っている状況ですから。)
そういったエリアの治安は、やはりあまり良いとは言えないのではないでしょうか。
ちなみに、前者については明確な回答はありません。
前にも断りましたが、私は廃止論者というわけでもありませんので。
敢えて挙げるのであれば、以降(↓)の部分の、「厳罰化の問題点」での議論で
指摘した点が挙げられますかね......
>極刑はそのまま存続し、極刑を望まない被害者がいれば
>極刑にしないという方法が一番合理的だと思いませんか?
私自身、どちらの立場とも確定出来ない状況なので、特に反論もしませんが......
ところで、被害者感情を大変重視されているようですが......
(勿論、重視することに反対するつもりはこれっぽっちもないです。重視しない司法は
批判されて然るべきでしょう。)
「被害者感情を重視」するのであれば、そもそも死刑制度自体がおかしいものとも考えられませんか?
(ここから先は、死刑制度の廃止の是非とは関係ない純粋な「疑問」です。)
テレビのインタビューなどでも、被害者や遺族が「犯人をこの手で殺してやりたい」
と本音を漏らすことがあります。
(これは自然な感情なのでしょうね。)
ですが、死刑では「この手で殺す」という、純粋な「報復感情」は満たされません。
「刑事司法制度」という、国家による刑罰権の独占を認めている時点で、被害者感情は
一歩後退しなくてはならないはずです。
そうである以上、被害者感情を重視すれば、「刑事司法制度は認めない」という
結論こそ自然とは考えられませんか?
(当然、刑事司法制度の一環である死刑も否定しなくてはなりません。)
もし、その結論はダメだとすると、何故国家による代罰という点では被害者感情の
後退を認めるのに、死刑制度廃止という点での被害者感情の後退は認めないのですか?(※)
そもそも、何故国家による代罰を認めるのですか?
この点は、「何故国家が処罰するのか」という、レムさんご自身が出された問いも
包含しているような気がします。
>そもそも厳罰化することによって抑止力が増せば、
>犯罪数自体も減るわけで、もはやこの段階では
>その中に占める自首の割合などほぼ無意味です。
その根拠は何でしょうか?
>自首の増加という利益よりも、犯罪数自体を
>減少させる利益のほうが断然有意義です。
先のレスでも述べましたが、軽罰化したからといって直ちに犯罪が増加するのでしょうか?
実際、2004年に強盗致死傷罪の軽罰化がなされましたが、それによって強盗が増えたという
報告は聞いたことがありません。
(犯罪統計では強盗の件数が増えている部分もありますが、これは「ひったくりの際、
相手が転んでしまい怪我をした」という事例に対し、警察が従来からの態度を変え、
「強盗」として立件するようになったという背景があるので、「犯罪自体の増加」とは訳が違います。)
>以前も述べましたが、誤判や冤罪を防ぐには現在の刑事訴訟手続きを
>改めればよいのであり、懲役刑は許せても死刑は許せないという
>理由は論理的ではありません。
>(死刑より「マシ」という次元の話ではないということです。)
誤判を防ぐという観点からすれば死刑は望ましくない、とは一言も申し上げていませんが。
万一、無実の罪で死刑判決が下された場合、処刑されてしまえば、もうやり直しが
効かないから怖い、としか申し上げていないはずですが。
どんなに刑事訴訟手続を精密化させたところで、誤判は0にはならないでしょう。
裁判官は神ではないのですから。
そうである以上、「やり直し」の利益も消滅せず、死刑により「やり直し」の機会を
奪ってしまう危険もまた残ってしまうのではないでしょうか?
>この命題を論理的に説明できない限り、死刑廃止論者の
>理論は半分以下の説得力になってしまいますよ?
これは、先のレスで示した私なりの解釈をお読み下さい。
あと、宜しければ、このレスで出した問い(※の部分)にもお答え下さい。
それと、何度もお断りしていますが、私は廃止論者というわけではありませんので。
単に、貴方が存置論者でいらっしゃるから、存置論に対する疑問を述べているだけで。