僕はBLの書籍は呼んだりするので、それ自体はあっても構わないと思いますが、けしてあれが同性愛の肯定になっているとは考えていません。殆どの書籍は異性愛の代替として、或いは男という性別を見せない、中性愛を描いたものだからです。そういったものを無理に映画化してひどい状態に陥っている様な昨今。なんとなく馬鹿にされている観もあります。
もちろん、やおい系の作家さんにも良く同性愛について理解している人はいますね。しかし、全体の傾向からいって、あまりに同性愛者はキャラクター化されすぎています。これは、やおいに限らず、サブカルチャー、いわゆるオタク文化では最近富に流行っているようです。
どうも受け入れてやってるという気持ちが無意識に働いているように感じられてなりません。やおいの流れ、つまり性行による愛情の確認のプロセスの一連化は、はっきり言って、ゲイはセックスでしか愛情を結べないとでもいわんばかりだと、取られても仕方ないくらいでしょう。
むしろ、BLややおいの流布によって市民権を与えられているのはどちらかというと中性の人たちのような気がします。けして同性愛が認められている訳ではないと考えています。
例えば、テレビに出演している同性愛者が良い例です。かれらは皆、いわゆるオネエ系であり、FTMな人ばかりでしょう。彼らのために女性化、あるいは男性化した人たちは市民権を得てますが、そうでない同性愛者はけして認められてはいない。話は変わりますが、最近、ヨシモトのある芸人がカミングアウトしたそうですが、何となく阻害されているように見えます。
やおいやBLによる同性愛受容はかなり狭いように思われます。なにより、受容という態度であって、結局自分自身の態度を変えようとするのではないのですから。なので、僕はやおい自体に反対しませんが、これが同性愛の「寛容」、これもかなりひどい表現ですね、それに繋がるとはけして思いません。
大事なのは、こういった本の内容よりも、自分自身がやおいやBL以外の現実からどんな態度を取るのかということです。
同性愛問題はあなたが思っているより解決はしていません。むしろうやむやになっているということを知って欲しいですね。