▼空汰さん:
空汰さんお久しぶりです。tokumeiです。覚えていてくれてますか?
「孤独を打ち砕くほどの愛情」は
お互いが似ていて、その人に近い、価値を理解し合える存在
だと私は思っています。
なぜならば、コミュニケーション(自分と価値が似ている)が近い相手となら、 理解しえる共通のものが分かりやすく、仲良くなれる可能性が高いと思うから です。
しかし、先に自分が相手に求めてしまうと、お互いが相互になりにくく
コミュニケーションも取りずらい面が必ず出てくると思います。
例えば、写メ交換の際に、判断材料にはなるが、果たしてそれだけで
仲良くなれる理由になるのだろうか・・・とか
本当は心のコミュニケーションの場が欲しいにも関わらず
体とのコミュニケーションでもって、会話したいと思う気持ち・・etc
”出会は人と交わるために、自分が相手に何ができるかだと思う”
のでみな個人のエゴ(〜でなければならない思い)
が強すぎると思うんですね。
その考えが強ければ強いほど、普段なら違ってもいい人の
違う部分さえ、一度見てしまうと、嫌いになる事があるのではないでしょうか
?
それが写メの交換だったり、体を求める理由になるのだと思います。
それは相手がいない、自分とのコミュニケーションのとり方に
迷われた方が求めてしまう形になるので、相手にとっては失礼ですよね?
恋愛や人との出会いに、〜でなければならない思いは
必要ないと思うし、出会うべき人との出会いが、自分を相手を
知るためにも必要だと思う。
これは、自分止まりになって理想と現実が違っても
不変な事だと私は思いました。