まず、どうして自分の為じゃいけないのか君に聞いてみたい。
自分だったら、たぶん、優しさを使って自分の地位をよくしたり、他人からよく思われたいと思っている「かもしれな」い所なんかが、いかにもエゴイスティックで嫌な感じがするんだと思う。
結局というのが何処まで続くのかは、つまり、結局自分がどこまでこじつけることができるかと同じ範囲で決まってるんじゃないかな。
例えば、挨拶をしたときに君がなんとなくしたとしても、された相手が君をなんて優しい人なんだろうと感じていたら、それは君が君自身のためにしたことだろうか。
答えはそうじゃない。
もし、親からしつけで挨拶するように、そうすることが自分のためだ、と教え込まれていたとしても、挨拶をしたときの自分はそんな事を考えてもいなかった。
もしかしたら、挨拶をしたあとで今の挨拶はわざと、自分のためにしたんだと思うようなことがあるかもしれないけどね。
挨拶された人にとってその時の君は優しかったことになる。
反対に自分がどんなに人に優しくしたとしても、それが自分の考えている優しさでしかなかったら、
自分が優しくしてやったひとが「君はなんて優しい人なんだ」と思ってくれなかったら、あるいは、「どうせ自分のためなんだろう」とか「別に嬉しくもない」と考えていたとしたら、残念ながら君の優しさは相手の人に伝わっていないことになるね。
どんなに優しくしても、その時のその人にとって君は優しくなかったことになる。
けど結局、人から優しくされたり、人に優しくしたりすると嬉しかったり幸せだと感じたりするだろう?
もし、そうでなかったら優しさを受け取ったときに素直に喜べる人になりたいね。
自分はそう思う。