▼だいさん:
こんにちは、私は今年21になる大学生です。
個人的な意見ですが、他人の思いを完全に理解することは不可能だと思っています。なぜなら、その人にはその人の人生があって、多かれ少なかれ苦労はありますし、たとえ同じ内容だとしても、例えば私はだいさんのお友達と同じ経験がありますが、おそらく痛みは違うと思います。逆に、私が知たり顔して友達の方の相談を聞いたとしても、それは非常に相手を愚弄することだと思います。彼には彼にしか分からない痛みがあって、それを私が同じ経験をしたところで、完璧に理解することは出来ません。
痛み・悲しみを分かってあげる。
この言葉は、よく使われますが、私から見ればただの独善でしかあり得ません。相手の痛みや悲しみが分かる? 分かってどうするんですか。同じ痛みや悲しみを背負わせることを本当に相手が望んでいるとでも思っているんですか? 大切なのは、たとえ痛みや悲しみを理解することが出来なくても、その人にとって重要な支えとなることだと思いますよ。
人間は不思議な生き物ですから、苦労したから強くなるかといえばそうでもありません。私のような人間が言っても大して説得力もありませんが、離婚・強姦なんかを経験してみて思うのは、もっともっとひどい目にあってる人はたくさんいるということだけです。確かに、直後は随分と悩んだと思いますし、周囲に迷惑をかけました。しかし、悩みつかれてふと周りを見たら、はじめ熱心に共感をもって接していた人間なんかよりも、ずっと、ただただ話を聞いて、感情の爆発を受け止め、私が落ち着くのをひたすら待ってくれていた人のほうが、ありがたく感じます。
厳しいことを申し上げますが、貴方がレイプされたわけではありません。うそをついてきたのは、貴方の責任です。しかし、誰でも嘘はつきますし、辛いこと・悲しいこと・嫌なことからは逃れたいと望んでいるでしょう。大切なのは、そう思う自分に向き合うことであって、清廉潔白でいることではないと思います。
未熟であるとありますが、23で未熟じゃない人間なんてこの世にいないんじゃないでしょうか。未熟なことを恥じ入るのではなく、それを知って尚、努力できない自分を恥じるべきだと私は思います。ただ、だいさんがそうであるといっているわけではありません。ご自分なりに努力なさっていると思います。ただ、方向が違うように思えるんです。
いま、だいさんに必要なのは多くの共感を得ることではなく、友人のためにひたすら努力して自己を高め、彼にとって必要な存在になることではないでしょうか。ただ、何よりも『誰のため』ではなく、所詮総ての行動は自分のためにやっているということをお知り下さい。そして、重要なのはその自分のためにやったことが、結果的に人にプラスの効果をもたらせば良いんじゃないでしょうか。
言いたいことがなかなかまとめられず大変申し訳ありません。また、失礼を承知で申し上げました。無礼は重々承知の上ですが、心広やかにお聞き頂ければ幸いです。