▼たれさん:
まぁ、なぜ東京裁判という限定した場に着目していらっしゃるのかはあえてといません。私は、そもそも戦争を始めたこと自体が間違いで、外交努力によらず開戦に臨んだ連合国側にも十分責任はあると思っています。
ただ、限定的に見て東京裁判は間違いでした。たれさんが、どこまで東京裁判まぁ極東国際軍事裁判の方が正しいかもしれませんが・・・・これをどのあたりまで考証なさっているのかは存じませんが、この裁判自体は非常に批判されるべきものが多すぎます。
たれさんの仰っていることからお答えしていきますが、第一に上の人間が反省せずにって、高級軍人は別段ここで判決受けてないですよ。統治上の理由からでしょうが、マッカーサー元帥も軍人を出せば厄介なことになるのは分っていたでしょうから、はじめからこの裁判が茶番劇であることは、当事者のみならず戦勝国のいずれも知っていたことであったと思います。本来、ここで裁かれるべきは昭和天皇ご自身ですから。
次に、負けた場合は上の人間が責任を取るのが当然。という発言は、大いに反発させていただきます。負けたから悪い、というのは理論的におかしいです。それがまかり通るのであれば、今すぐにアメリカ・ロシアは大挙して各国を侵略しますよ。勝てますから。
次に、極東国際軍事裁判に関して申し上げますが、これは国際法の概念から言っても、世界人権宣言の見地から言っても、正統な裁判ではなく、国内のみならず国外では『恥』として認識されるほどに否定的な意見が多いです。また、法学という学術的に見れば、明らかに正道から逸脱した裁判であることも明らかです。
なぜかといえば、そもそも戦争責任とはどこから来るのか、という点に尽きます。大日本帝国内の法律から見れば、当時の帝国が行ったことはまったく法に触れません。次に、国際法で言えばあきらかな事後法による裁きであり、当時参加した判事ですら正当性を認めがたいものであることは、すでにいくつもの証言と証拠があるはずです。
また、純軍事的、政治的な理由を排除し、人道的な見地から見た場合、第二次世界大戦で最も裁かれるべきは、南京大虐殺やホロコーストのような本当にあったかどうか議論が絶えないような代物ではなく、原爆投下であることは自明の理です。沖縄戦は大日本帝国に大きな責任がありますが、原爆の投下は人道的に言えば必要ではなく、政略的に見れば大量虐殺の誹りを免れず、利点があるとすればそれで、終戦時期が早まるだけのことであり、結果亡くなった方の数以上に死者が減ったとは考えられません。また、戦略的に見れば軍事施設を破壊せず、民間人を虐殺した結果士気の低下が考えられる以上、あまり取るべき方策ではなく、戦術的に見れば実験以上のものではなかったと考えます。
以上の点から考えて、戦争犯罪者で最も批判されるべきは、原爆投下を指示した人物であることは疑いようもありません。
このような点に一切触れていない点でも、極東国際軍事裁判は誤りであり、税員を無罪にすべきという意見書すら出ていました。
その他にも、この裁判自体への批判は非常に根強いものがあります。大まかな理由は上記のとおりだと思いますが、それ以外にも、法律ないし裁判というものが政治的な理由によって玩具にされたこと。裁判というには言葉の壁が大きく建ちそれに対する対応が無かったこと。これは、コミュニケーションが成り立たなければ、裁判が行えないという理由から非常に重要でしょう。加えて、ニュルンベルグ裁判と比べ、この裁判が批判される理由の1つには日本の積極的な関与が少なかったこともあります。これは、関与しなかったということもあるでしょうが、出来なかった部分も多くあるでしょう。もししていれば、確実に原爆の責任を”人道に対する罪”で立証できたはずです。
実は、私は東京裁判に賛成的な意見を述べる方をはじめて見ます。なので、大変失礼なこととは思いますが、詳しくご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。如何せん私も、東京裁判が100%間違いだとは言い切れません。1%くらいは真理をついていたと思う側面もありますし、私が東京裁判に関して持っている知識の元は多くが日本人によって書かれた文章です。他国のものは、殆ど読んでいません。結果として、大日本帝国により傾いた結果を導き出していることもあると思います。
ただ、残念ですが東京裁判が正しかったと断言できる材料は1つもありません。それに対して、過ちだったという材料は最低1点。事後法によるものであった。加えて、一方的であり独裁的。法の概念に政治を加えたもの。裁かれた人間が非常に限られた人間のみで、責任追及の意味では何等効果が無い。という3点もあげることが出来るでしょう。この時点で、すでに間違い出なかったという結論が見出せません。