そもそも裁判ってのは被害者やその家族のことを第一に考えることが存在意義としてあると思うのね。詳しい法律での位置付けはわからんけど、告発者の言葉を借りるなら『目には目を、歯には歯を』っていう仇討ち的な事が被害者側に出来ないから代わりに社会が犯罪者に科す罰を決定するのが実質的に裁判であると考えてるわけね。つまりそこに捜査の精度であったり裁判官の力量が云々っていう話を加えてしまうと本質的に『被害者や家族』にとってその犯罪とはどうなのか、どの程度の刑ならば納得はしないまでも溜飲できるのかっていう視点がおざなりになるかもしれないって思うんだよね。
もちろん、冤罪防止ってのは大事なことだよ。でもそれはあくまで捜査の精度、裁判官の資質の問題であって直接的な量刑判断や死刑制度廃止に傾くのはちょっと違うと思うんよ。量刑を決めるというかその容疑者が犯罪者かどうかを決める段階の話であるとも思うしね。だから分けて考えるべき、と投稿したんよね。それと告発者が裁判員制度について言ってたけど、これは俺も似たような意見。てか俺実際裁判員制度大反対なんよね^_^;これは間違いなく死刑制度反対論者の多い日弁連のごり押しで出来た制度だと思うんだけど(違ってたらごめんね)そもそも全くの素人がいきなり裁判員になって犯罪者に死刑を科すなんてこと出来る?はっきりいってなかなか難しいと思うんよね。だって自分が人の生死を決定するんだよ?びびって死刑以外の選択にする人多いと思うんよね。そうなってくると、結局罪に対しての罰ではなくて被告に対しての罰、もっと言えば被告が(被告の人権が)中心に考えられ過ぎてる裁判で決定された罰になってくる恐れがあるわけさ。告発者の言うとおり感情に流されず粛々と罰を決定していけば理想的なのかもしれないけど、それは素人にはなかなか難しいと思うしそもそも裁判員がそういう役割として存在するならもっとプロの裁判官を増やしたりすれば充分なんじゃないかなぁ、とも思えてくるし(笑)
話それたかもだけど俺はまぁこういう風に考えてるよ☆