誤字についてはごめんなさい。いつもは校正者がするものなので、詰めが甘いんですよね。ごめんなさい。でも人間だもの、間違いは誰にでもある。それを一々揶揄するあなたの性格の悪さに閉口します。と言いつつ書きます。
それからねえ、あなたの文章読むの疲れるの。あまりに的外れだから。もっと勉強なさいよ、哲学でもなんでも。私の属する外の世界で差別されている人がいるのかどうかは、確認のしようがないことです。何故なら私が自分の目や耳で実感出来ないことだからです。だから外の世界なのです。私は未だ九州には行ったことがないから、九州がどんなところか知りません。どんな人がいるのかもしりません。テレビや本で九州のことについて知ることはあれど、目でも耳でも感じていないのだから、実際は知りません。だから九州に差別を受けている方々がいらっしゃるのかはわかりません。差別を受けている方々にお会いしていないからです。
私は頭は悪いしひねくれているけれど、一応あなたよりはましだから勉強はします。そこで外の世界にありとあらゆる差別が蔓延っているのはしっていますが、だけれど実際に観たことがあるわけでもないから、本当にあるのかは知りません。だけれど人間というものは、自分を基本に考えます。ですから私の周りに差別されている人がいなければ、それを応用しても仕方がないことです。
ですからもし国家に同性愛者が差別されているのだとしても、では差別されているのは誰なのか、という疑問が生じても不思議ではないのです。私は日本に住んでいるが、差別皿ている人はいない。だとするならば誰が差別されているのか。何処ぞのネットでホモフォビアの方々が同性愛者を差別していたとしても、あなたは差別されていることにはなりません。あなたを指して云っているのではないからです。イランで同性愛者だからといって殺された方々は差別されていますが、あなたは差別されていません。殺されてはいないからです。イランの国から何か暴行を受けたり変な手紙が来たりしましたか。
差別されていることは知っているし、理解出来る。だけれど対象となる人間が周りにいないのです。だから差別されている人が誰なのか解らなければ差別されている人がいるとは言い難い。しかもネットは匿名ですから、差別している人がいるかどうかも解らない。他人から見れば、このスレッドも一人の人間が自作自演しているのかも知れないと思うかも知れない。私はそういう意味で、もし実際に差別を受けている人がいたら教えて下さいと申し上げているのです。もしそれがトラウマになっていたとしても、匿名性の高いネット上でのことです。私に話すことで何か支障はありますか。もしかしたら話すことで安らぐかも知れぬというのに。またトラウマを抱えているから話せないのだとしたら、尚更非差別者が「存在する」とは言い難い。何故なら差別を受けたことを話す人がいないことになって今ウからです。それでも差別された方が存在しているのだとしたら、それはトラウマを抱えていても話すことが出来たからです。だけれどここでは誰も話してくれない。それは存在しないと思ってしまっても仕方がないことでしょう。