▼ストロングカタツムリさん:
文章力がないのはあなたの方ですが、やっぱり自覚できていないのですね。
BLを読む習慣はあっても、論文などを読む習慣はないのではありませんか?
> 「同性愛者であることで差別されたこともない「同性愛者」が、歴史的に同性愛者が差別されてきたことを盾に、今現在自分も差別されていると誤解(或は被害妄想)して、差別してもいない「異性愛者」に罪の意識を感じるべきだ、という主張することに大いなる違和感を持つ」
僕が推測した内容とは少し違いました。
しかし、やっぱり、僕が「ストロングカタツムリさんの論法の問題点」の後半で書いた内容を理解できていないのですね。
・「AはBを差別している」
という文章と、
・「BはAに差別されている」
という文章は、同じ意味です。
ここまでは分かりますよね? そして、あなたが問題としているのは「同性愛者は異性愛者に差別されている」というものですが、僕はそのようなことは言っていません。「同性愛者が差別されている」という言い方をしましたが、その目的格となるのは、「国家」であったり「会社」であったり「異性愛者の中の一部の人」でした。あなたはその辺を誤解しているのではないでしょうか。僕は一度も、「すべての異性愛者が同性愛者を差別している」とか「同性愛者はすべての異性愛者に差別されている」と言ったことはありませんよ。
>「異性愛者」というのも、差別している人がいないにもかからず、妄想の中で存在している悪魔のことを意味しています。
この文章も、文法的に間違っていますね。と言うよりも、あなたが書いた「Re(5):ダブルスタンダード」を読んで、書かれてもいない「異性愛者」という単語が妄想の中に存在している悪魔のことであると理解できる人が、あなたを除いてこの世にいるのかどうか疑問なのですが。それをさておいても、上記の文章こそが差別的なのではありませんか?
> 私の周りでは同性愛者は差別されていません。ですからここで皆さんが主張している内容に違和感を持つ。
またしても、自己中心的な物言いですね。なぜ、あなたを中心に物事を考えなければならないのですか? 例えば、僕が「僕の周りではハンセン病患者は差別されていません」と主張したとします。しかし、現実にハンセン病患者が差別されているという事実は少しも動いていませんよね。
その辺が理解できないみたいなので、また例え話をしましょう。
Aさんが「私の周りには差別されている身体障害者はいない。だから身体障害者全員が差別されているとは思えない」と主張したとします。すると、たくさんの反論が返ってくるでしょう。エレベーターのない駅や、身体障害者用のトイレのないホテルや、白い杖を持って歩いていて「邪魔だ」と言われた人の話をされるかもしれませんね。
しかし、よく考えてみてください。世界中には、差別されている身体障害者は大勢いるでしょう。そして、そのことを証明されたとしても、「Aさんの周りには差別されている身体障害者はいない」という事実は、まったく変化していないのです。Aさんは、どれだけたくさんの証拠を突きつけられても、納得しないでしょう。
今、ストロングカタツムリさんもこれと同じ状況に陥っています。
>だから個人的にどんな迫害を受けてきたわけですか、と尋ねているのです。
これも、論理的な文章ではありませんよね。「同性愛者」というのは、個人を指す言葉ではありません。だから「個人的に」という言葉を使う時点で、論理的に矛盾しています。
>しかしながら誰もそれには答えない。
どうして答えないのか、分からないのですか? それが、当事者にとって、非常に辛い過去だからですよ。誰だって、自分が差別されていることを認めるのは辛いのです。どうしてそんなに簡単なことが分からないのですか?
例えば、学校でいじめの被害に遭った子供は、なかなか自分がいじめられていることを他人に伝えることができません。いじめから解放されても、そのことを他人に告げると、それが原因でまたいじめのターゲットにされてしまったり、「いじめられる方が悪いんだよ」などと言われて、傷つけられる可能性が高いです。
>中には「オカマと呼ばれてきたこと」と仰って下さった方がありましたが、では他に何かあるかと尋ねても答えない。しかも「オカマと呼ばれてきた」のは小・中学校時代のようで、今現在はどうなのか尋ねたのですが、解答はありません。
他人の痛みに鈍感な人(または加害者側の人間)には、何を言っても理解されないだろうという推測をしているだけなのではありませんか?
先ほどのいじめの例え話を続けると、「デブ」とか「チビ」とか「キモイ」「ウザイ」などの、言葉のいじめに遭った子供がいたとします。たとえいじめから解放されても、その人のコンプレックスは解消されません。例えばAさんがBさんに「小学生の頃『デブ』と言われていじめられた」と言ったとします。ここで、もしもBさんが「太ってるヤツが悪いんだよ」とか「でも、今は『デブ』って呼ばれないんだから関係ないだろう?」というようなことを言ったら、Aさんが教科書に落書きされるとか上履きを隠されるとか無視されると言ったような、陰湿ないじめの被害に遭っていたとしても、AさんはBさんにはそれ以上のことは言わないでしょう。だって、「あなたが悪い」と言われるであろうことが簡単に推測されるからです。例えば、僕だって小中学生の頃オカマと呼ばれて傷ついたことがありますし、生徒だけではなく教師からもいじめられていました。父親から「ホモとかオカマは皆死んだ方がいい」と言われて泣いたこともあります。ホテルに「男同士でも利用できますか」と電話をして断られたこともあります。これはまだやっていませんが、役所に「男同士でも結婚できますか」と訊ねたら、鰾膠も無く否定されるであろうことが、簡単に想像できますよね。
>「オカマと呼ばれてきた」のは小・中学校時代のようで、今現在はどうなのか尋ねたのですが、解答はありません。だとすると、「オカマ」と呼ばれ差別された過去はあるが、今現在の状況と照らし合わせてみると、同性愛者が同性愛者だから差別されている、と言い切るのは疑問だ、と言いたいのです。
これも、論理的に意味不明な文章ですよね。
だって、何の対応策も取られていないのですから、今現在大人になったAさんは「オカマ」と呼ばれて傷つくことは少なくなったとしても、今現在小中学生の同性愛者であるBさんやCさんやDさんやEさんは、同じ被害に遭い続けているということでしょう?
二、三年前に、ハンセン病患者がホテルの宿泊を拒否され、これは差別であると主張して裁判を起こした事件があったのをご存知ですか。あなたの論理で考えると、「ホテルの宿泊を拒否されたのは過去の話であって、今現在の状況と照らし合わせてみると、ハンセン病患者がハンセン病患者だから差別されている、と言い切るのは疑問だ」ということになるのでしょうね。しかし、実際に、ハンセン病患者であると伝えた上で宿泊しようとすると、宿泊を拒否する旅館やホテルはたくさんあるでしょう。どこがどう意味不明なのか、気付いてもらえましたか?