▼Kさん:
はじめまして、高校3年のJINGと申します。
私の意見としましては、Kさんと半分同意見で、半分別意見。といったところのようです。
私は、今までに置いて現状に満足したことは『過ぎ去ったこと』のみです。これから、または将来につながることにおいて、現状に満足しようと思ったことはありません。それは、確かに現状に満足すれば大変楽ですし、選択肢としても甘美なものが漂うのですが、それによって、意志の弱い私の向上心がなくなることが、とてつもなく嫌です。
そのため、私は日本のゲイの環境について、または異性愛者からの認識に関して満足したことはありません。私は、下には下があると思っています。同性愛者というだけで、殺されるような社会は、正しいとは思えません。そもそも、宗教の観念を根本的に理解しないで、表面上だけ、うわべだけを理解して行動するという、諸外国の行動には常に疑問を感じます。
本来、理想から言えば、変態ではない限り、あらゆる自由恋愛が許されてもいいはずです。もちろんそれは、見識や常識の範囲内になりますが、その辺の定義は曖昧で、各個人の両親にゆだねるのが本来のやり方だと思います。ただ、現状がそうなっているかといえば、否。となりますし、それを出来るか、という質問にも、否。と応えざる終えないところが悲しいところです。
確かに、私は自分で『不遇』と感じたことはありません。というよりも、『不幸である、不遇である』つまり、"不幸数え"は、タブーであると自分に信じ込ませています。前期にもある通り、意志が弱い人間なものですから、自分が少しでも不幸であると考えてしまうと、楽をしようとしてしまうからです。私は、現状が自分にとってどうであっても、私の次の世代が全員満足できるとは到底思えませんし、その満足できていない心をこそ大切にしたいと思います。そのため、社会の現状をせめて、将来満足できるかもしれない理想に近づけようと思います。
また、実は私は同性婚を望んだこと、というのは一度も無いです。一応賛成派ではあるのですが、あまりに幼稚なその全容が、あまりに明らかなものですから、それが是正されたとき、初めて望むかもしれません。であっても、随分と難しい問題ですから、現状ではっきりとはいえません。
私は、現状に満足しません。物事には理想がありますが、私はそこを目指したいと思います。今の大人の人たちに多いのは、『理想』という言葉を、唾棄すべきもののように扱う臆病者、と、これは私見ですが。そのように思います。『奇麗事を、大人の社会も知らないくせに、子供だから』と、かなりの人が仰いますが、子供に向かってその程度の言葉しか掛けられない大人なら、なりたくありません。昔は、もう少しまともな大人が多かったのではないかと思いますが、現代社会になって随分と向上心の無い、つまらない世の中になってきたのかなぁ、と思うに加え、若い人たちにすら向上心が無くなってきたという現状は、それこそ唾棄すべきなのかもしれません。
あくまで、すべて私の個人的な意見ですが、現状を満足することによって得られるものと、現状を満足しないことによって得られるもの、のどちらかを洗濯せねばならない場合、上記のような理由で、私は有無を言わさず後者を取ります。
ただ、それが正しいのかどうかは、今現在はっきりしませんし、恐らく自分が理想を追い求めることが出来なくなる最期のひと時まで解からないのだと思います。でも、私はそれはそれで面白い人生だと思い、そのときを安らかに迎えるために日々努力していきたいなぁと思います。 JING