▼ストロングカタツムリさん:
いえいえ、私は偏差値50の大学に進学させるのもやっとの地方のレベルの低い高校に通っています。頭が良いと思ったことはありません、私自身学校でトップなわけでもありません。ただ、頭なんてよくても使えない人間は使えない、逆に言えば中卒でドカタになった人のほうがよほど使える場合が往々としてある。という現実の中に生きてきました。私からすれば、ストロングカタツムリさんのほうが理論を突き詰めていらっしゃるように見えてなりません。つまり、机上の空論にならないかどうか不安であるということです。
さて、現在のカリキュラム構成は、まさに机上の空論の最たるものといえるでしょう。逆に言えば、別段我々の教わっているものは脆くはありません。脆いと思うから脆いのではないでしょうか。私にとって見れば、学校で何でも教えてくれると思っている人間も、大人の社会に通用するものは学校で教えてくれないと思っている人も、ある意味で言えば同種だと思います。智の重みは計り知れないと思います。私にとって、自らを大人だと思っている人間はすべて子供だと思います。大人の世界、というものこそ精神的な子供によって作られた蜃気楼のようなもので、真実の社会は、働いてみて初めて解かるのではないでしょうか。私も個人的な事情で休学して働いた経験がありますが、中卒の人間のほうがよっぽど使える事実は流石に驚きましたが、逆に言えば、だからこそ使えない人間が偉そうに官僚なんてやったり議員をやったりしているのだなぁ、と痛感する重いでした。
子供は馬鹿ではないからこそ、理論立てた正しい知識を教えなければならないのだと思います。幼い子供にものを教える時は理由を言ってからでなければ、きちんとした子供に育たないのと同様に、それ以上に知識をつけている小学生に表面上の、ある意味では『結果論』を教えるわけにはいきません。現在の数学や学習指導要領は公式の証明やそのプロセスを教えない、または系統立てない『結果論的』であるからこそ、問題になっているのではないでしょうか。
もちろん、男女の恋愛が一般的になっているのは事実です。しかし、男色が当たり前に通った時代があるのも事実。その時代に戻す必要性はありませんが、現代は人が人を愛する性別の隔たりが愛情においては無い社会を当たり前にすればいいだけの話です。まぁ、極論ですが。
はっきり言えば、カミングアウトして形成した土台を崩すことなく続けていける人は、極少数でしょう。または、崩れる土台なんて無いのかもしれません。
かなりずれてはいますが、消す必要があれば仰ってください。 JING