▼サロメさん:
私は、俗に言うロリコンやそういった性癖の人たちと、同性愛を同じにして欲しくは有りません。それよりも、異性愛と同性愛を本当は区別してほしくありません。人間は『一人の人間として、ある個人を愛する』のではないでしょうか。それが、愛というものなのだと思います。そして、その愛情表現として性愛に発展する。
これに対し、性愛を主としているのが俗に言う、ロリコンやショタコンではないでしょうか。それは、性的欲求という本能の対象が、たまたま低年齢であったという事実だと思います。それは、愛情ではありません。愛情があるのなら、小学生や中学生を性的にどうこうしようなんて思わないはずです。
と、私は説明するのと同時に、『これを混合する人間は、性愛、つまり、性的欲求により異性を求めることを主とするのではないだろうか。人権とは、すべての人間に平等に与えられている権利だというのに、人として人を愛している同性愛者を人の定義からはずすのか。それがどれだけ非人道的なのか理解できない人間こそ、人権を剥奪するべきではないのか。』と言いたいです。
本来、人権というのも人間至上主義であまり好きではないのですが、それを考えるよりも低俗な人間が、同じ人間の中でただ多数とは違うというだけで、様々に優越感を誇ろうとするのが悲しくて溜まりません。
ただ、今の同性愛は区別できるかもしれません。それは、性愛としての同性愛と、愛情としての同性愛です。異性愛にも同じことをいえますが、その辺のことを考えたり、社会情勢のことを考えると、私は保守的な意見を同性愛者として出したくなります。もうすこし議論を同性愛者の中で煮詰める必要性はあるのです。そろそろ、皆さん飽きているかもしれませんが、同性愛者が同性と公衆浴場にいることは、実は相手からすれば自覚が無いだけで、十分嫌悪感を覚えるものだと思います。理由は、相手は自分たちを性愛の対象とする人だからです。同性愛と公式に認めるということは、現代の異性愛中心の社会を一新するということをもっと考えていただきたいなぁと思います。 JING