最近妙に親近感わきやすね(笑) うのあにさんがうつつたのでやんすかね。。
> 『少し待ってください。感情を落ち着けてください』と、私は言いたい。私が信じられないのは、人が死ぬ死なないの問題を証拠がどうだ、なんだ、かんだ。と、まるでディベートを行っているごとく議論できるところです。
ご指摘のとおりです。言い訳は戦犯さんのとこでもかきやした。ごかくにんくだせぇ。
> 南京大虐殺が冤罪であった可能性があることは事実です。状況証拠、当時の日本人記者の証言、中国国民から来た書簡の原本。など、中国が無視している、または肯定派が無視している事実もあります。それが、捏造であるのか本物であるのか、信頼できる資料を見分けるのは難しく、歴史研究家がそれを行っているのですから、答えを出すのは性急だと思います。
具体例を示してくだせぇ。誰の書簡、どなたの証言とか。
> 『大日本帝国は、こと戦争に関して。勝利したか。殺人しなかったか。また、自国民を殺されなかったか。』
> すべて否。ではありませんか。日本は戦争において汚名を着せられました。日本は大日本帝国ではありません。私は、人殺しの子孫だから責任を取らなければいけない。という考えに完全に肯定的になれません。中国も、責任問題を追及するなら、戦後すぐするべきだったと思います。
中国は日本が深く反省することを条件に、国家賠償を放棄する寛容をみせやした。靖国参拝すらやめていない日本に「反省」とやらは実行されやした?
また、大日本帝国は国の政策として、他国民を殺しました。ここには一応他国軍兵士の諸氏は含ませないでおきたいと思います。戦争を完全否定できないのと、軍人である以上死もある意味では仕方が無いのかもしれない。と思うからです。私が問題にしたいのは、一般の民衆です。俗に言う”非戦闘員”です。これを一人でも殺したのなら、大日本帝国はすでに権威や正当性を述べる資格はないでしょう。誰一人、人を殺していいとは思えません。もしも、他国が旧日本の正当性を認めたなら、それを粛々として受け止めるべきであり、決して鼻高々に『わが国は正当であった。』などと、言ってはいけないと思います。
そのとおり。
同時に、旧日本において、国民は死にました。特に原爆においては、大日本帝国は唯一の戦争による原爆被害国になり、日本は唯一、戦争において被爆した土地を有している国であると同時に、戦争において被爆した国民を持つ国にもなりました。後者は厳密には唯一といえないかもしれません。国籍を変えた方がいるかもしれませんから。つまり、大日本帝国に対して、たとえ報復であったとしても、戦勝国は非戦闘員を殺しました。どこに正当性があるのでしょうか。原爆を落とした米軍兵士が一時テレビに出ていたことがありました。自分で悔いておられました。立派な心をお持ちの方だと思います。悔いていないのは、政治のトップに居る人たちでしょう。その戦争で、旧日本に直接手を出した人たちの意見で『自分たちの正当性は信じている。だが、それが人を殺した理由になるのだろうか。我々は所詮人殺しだ。だが、手を出したのは我々だが、それを命令したものは人殺しではないらしい。』ここから、何を読み取ればいいのか。幼かった私には解かりませんでした。今でも完全に理解できません。ただ、末端の兵士は人を殺すことに抵抗があったことは事実なのでしょう。
米国兵はくいやした。日本はどうですか?
> 戦争とは、所詮人殺しを国単位にしたものだと思います。その中の一事実にかんして、あれよこれよと議論することは、そこでなくなられた方々に対して礼を欠いていない。と断言できるのでしょうか。確かに、中国首脳の戦争に対する見解は腹立たしい部分もあります。ただ、いや、だからこそ。我々は、戦争という事実を素直に受け止め、平和とは何か模索することが本当に正道なのではないでしょうか。『現実を知らないから』とか、『理想論』と罵られることは覚悟しています。同時に上記は現実に面と向かって言われました。私は『理想も語れぬから、己で歩くことも、悪いものを悪いということも出来ないのだ』と思いました。理想論とは、『こうなれば最善』だからなのではないでしょうか。なぜ最善を目指さないのでしょう。限界すら見えていないのに、限界を知ったような顔をして、賢しげに指摘する大人こそ、愚かしく見えました。といっても、私の嫌いな先生と、我が母の意見です。だから、ちょっと感情的かもしれません。
同意見。ドイツ見たくナチスと決別をして、胸を張って土下座すればよいのです。
> 言いたかったのは、もう少し冷静に、広い視野でその事実を見つめていただきたい。『歴史的事実を追求する観点』は、それを専門にしている職業があるのですから、任せませんか。私たちに出来ることは高々知れていますし、それを行うことに慣れていない以上、信頼できる結果が生まれると、あまり期待できません。
> 悪い、といっているわけではありません。ただ、記事ややり取りを見ていて、とても悲しかったです。上手く表現できませんが、ただ、悲しいです。
専門家がおるからといって我々がまるなげしてよいことにゃなりやせん。
あつしも、実はかなしかつたりしやす・・・ひろきのこともあって・・・