なるほどwww
とりあえず言わしてもらうけど君の『大意』なるものが確固としたものであるなら当然その根拠においても確固としたものでなければならない。つまり言い方を変えれば、『根拠が確固たるものでなければ大意も確固ものではなり得ない』わけ。だから俺は高齢者の話でも、2ちゃんの話でも君の大意の根拠について聞いてきたの。
ところが君はその根拠が『些細な、稚拙なこと』だと言う。そんなことを聞くのは愚かなことだと。であるならその根拠の集合体である君の大意も『些細な、稚拙なこと』になってしまうとしか思えないんだけどwww
多分君は俺をバッサリ切ってるつもりだろうけど実は自分自身の大意を貶めることを言ってるってこと、ほんと自覚した方がいいぞ。
因みに今回君の大意の『根拠』として示した例においても俺にはよくわからない。俺も靖国神社の遊就館行って手紙じっくり読んだことあるんだけど、ほとんどの手紙が肉親や、家族(恋人もいたと思う)に対しての内容だよね?本来なら究極的に私心をぶちまけたい相手なのに、公の考えに溢れた文が書かれている、そこに当時の彼等の立場や時代背景がいかに悲哀なものであったかが推察できると思う。でもこの手紙をなぜブログやツイッターでの言葉の軽さと比較できるのかか全くわからない。ブログやツイッターってのは別に親しい、愛すべき人への最期の言葉として利用するツールじゃない。政治家や著名人ってのは常に公的な振る舞いが求められる職業だからブログやツイッターでの言葉にも公的な文面が必要ってのはわかるけど、その他の大多数の一般的な利用者の言葉が軽くて悪いなんてとても思えない。
実は↑のこと(つまり君の大意を下支えする根拠についての俺の疑問)について君がどう思うか聞こうと当初考えたんだけどまた前みたいにまともに答えないで俺自身を批判されるのもどうかと思ったんで今回はそのことは聞かずに君の大意にどの程度の具体性があるかを聞いてみたわけよ。ただそれもお気に召さないとなると『根拠も聞くな、大意も聞くな』となるわけで…君には賛成意見しか言えないってことなんだねwww
こちらとしても馬鹿らしくなったからもうコメントしないけどまじでもう少し論理の組み立てを考えて書き込みした方がいいぞ。まさしく『言葉か軽く』聞こえるわ。
では。