国歌を歌いたくない若い人たち
卒業式、来春も君が代を歌う歌わない、起立するしないで、あちこちでもめるのでしょうか。
「君が代を歌いたくない人の気持ちを尊重するべきだ。歌いたい人は歌えばよいのであって歌いたくない人に強制したり、指導を怠った教師に罰則を加えるたりするのはどうかと思う」
こんな意見がよく聞かれます。正論といえば正論ですね。
しかし、学校というところはそもそもそんなに個人の自由が許される場ではありません。
何事も「したくない」という理由でしなくてもいいのであれば、学校は教育の場として成り立ちません。
「強制はいけない」「心の問題だ」・・・・、しかし、僕など、そんな議論以前に、なぜそれほどまでに君が代を嫌うのかが、理解できないのです。
「日の丸君が代、私は・・・僕は好きなんですけど 」
→「国を愛するってどういうことか」
たしかに、「強制はいけない」という主張は正しいのです。
中には、「君が代を歌うとあごがはずれる」とか「体中にブツブツができる」といった実害をこうむる方もいらっしゃいましょう。
そういったかたがたの口を無理やりこじあけて「歌えっ」などと強要するのは絶対にやめてください。
そういう強制は絶対にいけません。
実際に、あの戦争で愛する親族をなくされ、心の傷がどうしても癒されず、理屈でなく、君が代を聞くことも歌うこともできない、というかたがたもたしかにいらっしゃると思います。
そういうかたがたの心情は酌んで差し上げなければならないと思いますし、歌いたくなければ歌わなければ良いと思います。
でも、戦争を経験していない若い世代にまで、国旗国歌のかつての罪を教え込み、
これに敬意を表してはならぬと指導するのはおかしいのではないでしょうか。
朝日新聞の読者投書欄には、
よく、若い世代の国旗国歌嫌悪の弁が載せられることがあります。
先日も高校生の投書がありました。
「生徒を苦しめる押し付け教育」「国の思想を生徒に押し付けてほしくない」「一体、卒業式で起立して国歌を斉唱しなければならないのはなぜか」
そのような敵愾心を子供たちに植えつけたのでしょうか。
戦争の愚かさ、残酷さを未来にわたって伝えていくことが非常に重要なのは言うまでもないことですし、
国家権力に対する冷静なまなざしを持つことを教えるのも当然のことですが、
「国旗国歌を憎め」と、子供たちに教えることは筋違いと思えてなりません。
国旗国歌に対する怨念は、もう自分たちの世代で終わりにしませんか。
みなさんは、
どう
お考えでしょうか?
僕とおなじ若い世代 そして、根性のねじ曲がった、トリさん、かげさん、ルシフェルさん。
よろしくお願いいたします。