陸軍軍属
松村 雪子 命(みこと)
(前略)
昭和19年の決戦態勢にはいりまして、
こちらは何だかきびしい空気がただよっています。
國民がいよいよ一丸となる秋(とき)が参りましたね。
先日臨休の時、野戦病院と陸軍病院を慰問しました。
内地とちがって野戦病院は看護婦さんも無く、
殺風景な男の人バカリの灰色の感じが致します。
私達の差し上げるお花をとても嬉しさうに動けない身体を無理にずらせて瞳の中に嬉しさを一杯あらはしていらっしゃる姿には、
涙がこぼれます。
戦地といっても、広東は平和そのもので内地より物資も豊富ですので私達も南支へ来てもさほど胸をつくものがありませんが、
かうして病院へいったりしますと前線の匂ひが多分にみなぎっています。
私達はその内に前線へ慰問に参る予定ですが何(いず)れも芸無し猿ですから困って居りましたら、
兵隊さんは顔を見るだけで満足だとおっしゃいます。
(後略)
一月十六日
ゆき子
兄上 様
姉上 様
昭和19年1月23日
中国広東省番萬県秀木橋にて戦死
第百四師団司令部副官部所属
23歳
靖国神社に祀られる246万余柱の祭神のうち、軍人以外に、
女性の祭神は5万7千柱あまり。
その多くは、戦場に散った従軍看護婦、学徒動員、勤労動員、そして軍属として、陸海軍の施設、部隊に勤務した女性である。
終戦後、ソ連の不法参戦、越境により亡くなった樺太真岡郵便局の九人の電話交換手もいる。