海軍大尉 林 市造 命(みこと)
(前略)
一足さきに天國に参ります。
天國に入れてもらへますかしら。お母さん祈って下さい。
お母さんが来られるところへ行かなくては、たまらないですから。
お母さん。さやうなら。
昭和20年4月12日 南西諸島にて戦死
福岡県宗像郡赤間町出身
京都帝国大學
海軍第14期飛行予備学生
23歳
母マツへさんの 手記
泰平の世なら市造は、嫁や子供があって、おだやかな家庭の主人になっていたでしょう。
けれども、国をあげて戦っていたときに生まれ合わせたのが運命です。
日本に生まれ以上、その母国が、危うくなった時、腕をこまねいて、見ていることは、できません。
そのときは、やはり出られる者が出て防がねばなりません。
一億の人を救ふはこの道と 母をもおきて君は征(ゆ)きけり
クリスチャンの家庭に育った林大尉は、母のたよりに「すべてが神様の御手にあるのです。
神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。私は讃美歌をうたひながら戦艦に突っ込みます」
とも記している。
14期海軍飛行予備学生は三千三百名の高学歴者の入隊があり、そのうち461名が戦死している。
うち、林大尉も含めて特攻戦死したのは163名とされる。