▼デルさん:
>今後、人類は自身の能力に覚醒したものと、しないものとの二通りに分かれる。
>覚醒したものはあらゆる枠組みを超えた自由な思考を手にし社会システムを超越する。
>覚醒しないものは従来の枠組みのなかで、社会システムが許す範囲での自由が与えられ、与えられた以上に搾取される働くだけのロボット人間になる。
>覚醒したものは世に溢れる幸を手入れられるが、ロボット人間は手近に幸があることに気がつかない。
>覚醒したものは全てが循環する流れであることに気がつくが、ロボット人間は一度手にしたものを手放そうとはしない。
>多くの人々は従来の古い価値観や思考から離れなければ被害者意識にとらわれた生き方から逃れられない。それは恐怖、嫉妬、挫折、羨望などに価値を置く囚われの生き方である。
はじめまして、JINGと申します。
手厳しいことを申し上げるようですが、一切説得力無いと思いますよ?なんでかというと、一切現実的な証拠が無いからです。
それと、人間が感じる感情というのは生物学的に進化するうえで必要なものだったからであって、別段被害者妄想というわけではありません。
恐怖というものは大切であって、恐怖が無ければそれを回避するすべを模索しません。生命体というのは過酷な環境になればなるほど知恵を発達させようとするのは自明の理です。そして、過酷な環境というのは生命にとって恐怖ですから。
また嫉妬というのは、良い言い方をすれば向上心につながります。また挫折というのは、諦めることによって別の道を模索する思考の柔軟化につながりますし、羨望というのも先に述べたものと同じように向上心への道があります。
というか、生命というものをもう少し学ばれたほうがいいと思います。観念や感覚的なことを、言葉にしたとしても説得力はありません。本当の理論、本当の概念、本物の真理というものは、言葉によって説得力を持つものです。
例えば、事実というものほど明確な説得力を有しているものはありません。生命が感じているもののすべては、シナプスによる電気的刺激に過ぎず、映像も感情も所詮は細胞という生命体が作り上げたものです。
私たちは生命体といわれていますが、所詮は1つ1つの細胞というものが組織をつくり、その組織が結合した存在にすぎません。そして、体の調節機構はすべて化学によるものです。
人間の行動心理や動物の行動心理に学問が出来てしまうのと同じように、物事は学術的に解明することが可能です。仮に、概念だけで覚醒したモノが居たとすればとっくの昔に世の中変わってます。
ただ、人間が作った社会システムを超越するには、社会システムを作成する側に立てばいいだけの話です。国会議員や官僚なんかがそれに当たるでしょうが、それが幸せなんですかね。
あふれる幸なんていいますけど、どんなものがあるか言えます?言えないと思いますよ。例えば自由、自由が幸せなんて誰が決めたんですか。そもそも、自由が幸せなら専制主義を望む民衆なんて存在しないはずなんですよ。
じゃあお金を持つことですか?お金を持ったって手に入れられないものはありますし、良い環境を手に入れることは生命の脆弱化につながりますから本質的な生命の本能には矛盾しますね。
他にも知識を持つことなんてのがありますが、人間の脳の要領では残念ながら世の中を理解することは不可能です。これは科学的に証明することができます。残念ながら人間は数というものが十進法で規則的に続くという仮定で学問を続けてます。なぜそんなことをやるかというと、不規則変化の数列が世の中の通則では人間の脳では日常生活を送ることができないからです。
そもそも幸せという言葉を安易に使う時点で固定概念に凝り固まってるじゃないですか。幸せなんてものは、中途半端に脳が大きくなってしまった人間が作り出した夢想だと思いますけどね
子供を産み育てる。金銭を得て可能性を広げる。仲間と共感しあい共に生きる。すべて生物としての本能に基づいたもので、本能というものがなぜあるのか、それすら分っていないのに、そういったことに言及し、かつ理由や例を挙げず理論展開すらないのでは、人々を納得させることはできないと思います。そういったところを練ってから再度議論されてはいかがでしょうか