▼たれさん:
正直、民衆に対するアピールも含まれていたと思います。特に、空襲に対しての防火能力なんて、まさに焼け石に水程度の差しか生まれないでしょうし、そもそもあの対戦そのものをやってはいけなかったでしょうし・・・・・
確かに、きちっとした防火マニュアルがあれば多少の被害を防ぐことは出来たと思いますが、アメリカは俗に言う木と紙で出来た家を燃やすために色々考えてたわけですから、日本としては完全に後手。マニュアルも作りようが無かったと思います。
理由は何点かあって、第一にすでに完成してしまっていた東京という町を対空襲用の状態、例えば家の間を空けたり、区画整理をしたりということもできなかったこと。第二に家が石造りということが殆どなく、簡単に焼失し、かつ炎の勢いを上げる建造物が多いこと。第三に、火災用の設備に人員を裂くことは不可能だったあの現状。第四にたれさんが仰る様に、軍部の無能ぶり。多少の戦術的勝利はあったかもしれませんが、すでに会戦当初から戦略的に勝つことが不可能な相手と戦争をやってますし、真珠湾攻撃でアメリカに高速機動の艦載機や航空機が巨艦巨砲主義を破ることが出来ることを証明してしまった以上、物量に勝るアメリカに勝てるわけが無いにもかかわらず、やらかしてしまった無能さは救いようが無いと思います。まぁ、ぶっちゃけ講和する時期すら間違えてるのは本当に救いようが無かったと思います。
以上のような点から、マニュアル作りは不可だったと思いますし、確かに軍人の無能停滞ぶりも然ることながら、東京という町自体がだめだったと思います。なので、どんなに優秀な軍人がいたとしても、被害を多少減らすことが出来たのではないか? 程度のものだと思います。