▼かげさん:
>俺が言いたいのは、教育の主役は間違いなく子供(生徒)だってこと。不正がありました、スキャンダルがありましたってのは大人の事情だろ?子供は関係ないじゃん。不正は確かにダメなことだよ、許されるものじゃない。でもそれで教師をクビにするとしたら残された生徒はどうなるの?中にはその教師を教師として慕ってた生徒がいたとしたら?不正に対する罰則なんていつでも、いくらでもある。でも生徒が生徒でいれる時間って限られてるわけじゃん?まずはそっちを大切に考えてあげるべきじゃないかな。不正をした教師を世間に公表するかってことも含めてね。あと君はエンロンを例えに出したけどあれは会社だろ?教育とは違うから単純に比較するのはどうかと思うぞ。
いえ違います。
物事の基本は常に単純な比較の積み重ねです。
物事を複雑化にしてしまうのは、一部の受益者に配慮するあまり不合理な方法で望む結果を求めるからです。
台所にゴキブリが一匹いたら、その台所にゴキブリが一匹しかいないとは言えないはずです。
台所にゴキブリが一匹いれば当然他にもゴキブリがいるのです。
殊に学校は不正やいじめと言うゴキブリが恐ろしいスピードで繁殖します。
この様な環境で不正を罰せず自らを律することも出来ない教師に子供を教育する資格はあるのでしょうか。
あなたは慕っている子供に罪はないと申されました。
確かにその通りです。
だからこそ教職に携わる者は、子供に悲しい思いをこれ以上させてはいけません。
その為にも罪は罪、不正は不正として真正面から受け止めるべきです。
また、不正を犯した教師は、不正を犯した場合どのようになるか子供たちに確りと身を持って示して上げるべきです。
もし、それが出来ないのであれば子供達に不正を働いても咎めを受けず、悠然と暮らして行けるのだと言う負債の念を植え付けてしまうのではありませんか?
かつて諸葛亮は泣いて馬謖を切りました。
例え身内や将来を嘱望された人材であっても律を外れれば罰せられるのです。
人の範となる立場の人間はこの故事を今一つ心に刻むべきではありませんか?
あなたの考えは不合理で人間の愚かさをよく現わしている考え方だと思います。