ちょっと体調悪くて頭よく回らないのですみません。
当然と言うのもおかしいところがあるんですが、犠牲者が出てもいいとは思わないです。
本来犯罪が起こらないのが生理的と考えてます。
ただ、起きてしまった以上もうどうすることもできないじゃないですか。死んだ人が生き返るわけでもない、焼け出されたひとの家が元通りになるわけでもない。
※考えてて思ったんですけれど、前提として起こる犯罪は人を殺したこと、にしているようです。
その起こってしまったことを処理するときに罰として死刑があるけれど、死刑を適用してもいいのだろうかと言う流れで、いいや加害者を死刑にすべきではないと言ってますから、犠牲者の話が元々でにくいのだと思います。
加害者にさえ忘れられてしまったら、犠牲となった人はそのうち世間から忘れられてしまうんでしょう(世間の方が先に忘れるものだと私は思ってます)。
可哀想で本来心配されるはずの被害者は、死刑制度とどんな関係にあるでしょうか。
復讐としての手段、やり返したいという欲求のはけ口、それを適法に存続させるための根拠となる意思
性格の悪い私には今のところこんなことしか思いつかないので、崇高な考えを持っている方がいたとしたらその方に申し訳ないです。
お金の話はどうしようもないところがあります。
場合はお金を払えるか払えないかの二組しかありませんから、被害者としたらせめて加害者がお金を払える人であったらいいと思います。
当然払うべきだとしても、お金のない人には払えません。なぜならお金がないから。
働いて払うというのはまた別で
毎月これこれの額を払ったところで人の命が戻るものでもなし、けれど、賠償金も償いの一部ではあると思います。
払える人だとしてもお金を全額払い終えたところで、償いが無くなるもんじゃないと思います。
とはいっても、加害者が自発的に行動しないことには償いとも言いにくいでしょうね。