▼yuttaさん:
横槍ですみませんが・・・・
例えば、yuttaさんがコメントした方の”孫の顔を親に見せたい。長男だから墓を守っていく責任感もあって。。。”当然の感情ではあると思います。前者は。ただ、後者に関しては確かに同性愛嫌悪がまったく原因の一端を担っていないとはいいませんが、これは封建的考え方が悪いのであって、別段長男だから墓を守らなければいけないなんて、ばかげているという点を指摘するのが良いのではないでしょうか。関係ない話で申し訳ありませんが、気になりましたので。
確かに、同性愛者嫌悪と黒人差別の中心概念は一緒です。まぁ、マイケルジャクソンのことに関しては、真実がわかりませんので何も言いませんが。(一応彼が、皮膚の病気で、黒人に多く見られる肌が徐々に白くなっていく病気である。という公式見解があることはご存知かと思います)
要は、強者が絶対であって、そうでないものは自分たち以下の存在。排除ないし隷属させる必要があるという概念です。しかし、人道問題が多少なりとも議論された今では、よほどの馬鹿でないかぎり黒人は奴隷となるべき、なんて考える人は少ないと思います。つまり、現在⇒未来のことを考えると、同性愛を差別したことが阿呆だった。という見解が当たり前の社会にすることも可能性として0ではありません。
歴史は、ある意味で反面教師だと思います。歴史があるから罰せられたりするべきじゃありませんし、やった本人達が悪いのであって、後世の人間がそれを悔い改めたのであれば評価すべきです。すくなくとも、日本は同性愛に批判的でしたし、今も馬鹿げた無教養者が似非教養人としてつらつらと馬鹿げたことをぬかしています。でも、少なくとも昔と比べれば、批判が多くなったのではないでしょうか?
大切なのは、現状を嘆くことではなくて、それをどう打開するかだと思います。私は、同性愛者が異性愛者に変わろうとすることを愚かだとは思いません。ただ、ケースによっては理由が愚かですね。「例えば『皆と一緒になりたいから』きっとそういう人たちは、皆が人を殺すのが当たり前になったら、人を殺すんですよ。おぞましい。」 と、残念ながら私の話ではありませんが、こんなことを言う人も居ます。私もそういった理由で行動するのは愚かだと思いますが、確固たる信念があれば、別段いいのではないでしょうか?または、それが誰にも迷惑をかけないものであるならば、私達は批判する資格が無いと思いますよ。 JING