▼かげさん:
>違うって、それはもう実質的な現代じゃないんだよ。当時アメリカに大統領選にでる黒人いた?それだけでも全然社会背景違くない?だから悪いけどあんたの比較法は的を得てるとは思えない。あとこのツリーの本筋に戻るとうちらは同性愛者の前に一人の人間だと思う。みんな考え方が違うね。だからその人が前向きに感じれるんなら別にノンケになろうとしたっていいんじゃないかな?
いいと思う。
でもあえて書いた。ノンケになろうとする動機に、もっともな理由が存在しなかったから。
そして、何気ない動機のなかに、同性愛嫌悪があることを指摘したかったから。
私はね、未だにノンケになろうと試みているゲイがいることに憤りを感じ、そしてそれは明らかにゲイスタディーズ、いや人権の問題、人として生きること、幸せに生きることとして、明らかに「問題がある」と思ったから、その問題を指摘したの。指摘せずにはいられないの。あなたのいうことはとても自然で、だれもが同じように反応して当然でしょう。私のやったことは、彼に対すいる明らかな暴力だからね。彼をなぐり、そこにある同性愛嫌悪を暴いた。まったくのおせっかいだね。
考え方の否定だとか、人間性の否定に見えるだとか、そんなことよりも指摘することのほうが大事だとわたしは思った。
なぜ、じゃあ答えてよ(答えなくてもいい)。ノンケになろうとした動機はなに?もっともな説明があなたにできるの?なぜ?なぜゲイはノンケになろうとするの?
それは、根深い、未だに日本のゲイが解決できない問題があるからではないの?
昔からあるおなじみの問題なのよ。
ノンケになろうと試みることは、多くのゲイが試みてきた、古いイニシエーションみたいなもの。「新しいなにか」ではないの。
歴史的残骸。決していいものではないと私は思う。そして、後世に残すべきものではないと私は、言いたい。
あなたは、この同性愛嫌悪の歴史の残骸を後世に残そうというの?私はそれには、反対だ。
だから、あえて書いたの。