▼アッシャーさん:
推論です。
・人間の数が平和的に増え続けたため。
理由:後進国で多いという話を、個人的に聞かないため。
ただ、じゃぁ人間ってか生物が増える、または子供を生す意味が何かってところにぶち当たります。確かに、単純に考えれば遺伝子的に経験を積むという意味がありますが、それも後説的な説明で結果論という色が強いです。
そして、アッシャーさんの聞いた推論の最大の問題点は”統計学と文化レベル””文化レベルの高い定義”の2つだと思います。
まず、前者は当たり前の疑問なんですが、文化レベルが低いと同性愛者が多かったか、少なかったか、わかりません。しかも、統計学のレベルが低い国が引き合いに出されています。唐の時代に、今と同等または若干低い程度の統計学は無かったと思います。それに加え、同性愛で滅んだ国(というのは過言ですが)で一番有名なのはソドムとゴモラではないでしょうか。
次に、後者は難しいですね。現在の日本を最高レベルの文化と定義したとしても、正直唐はそれより圧倒的に全体的な文化レベルは低いと思います。個々人の文化レベルは決してそうでは無いと思いますが、国家の文化レベルを測るには、万人にどの程度の教育・知識量があるかが問題ですので、そちらのみを重視します。
仮に、日本がぎりぎり水準の文化レベルで、唐・ハプスブルク帝国がそれより高いとするのは、もっと不可能だと思います。
結局、幻想か仮定か推論か邪推、その程度の域を超えることは無いと思います。確かに、同性愛者の何が悪いのか、根本的な議論をした時に答えは出ません。これは確実だと思います。何故子を生さねばならぬのか、まだ理解できていない人類が、それを理解することは不可能じゃないかなぁと考えます。
ちなみに、モラルの崩壊は関係ないと思います。別段道歩いていて、殺されても文句が言え無い社会でもなければ、建前だけでも、まだ存在して機能している社会ですので。
ただ、人口爆発を自然に抑制する機能、または自他の力によって増えすぎた生命体が自滅する、という議論は可能だと思います。であっても、決して効果的とは言えないと思います。じゃぁ、宇宙に進発すれば人口は増えないんだろうか?ということにもなります。
1つの仮定として、自分が人口が多いと自覚すると、同性愛者になる可能性があがる。という仮定は建てられるかもしれません。
ただ、どちらにせよ、あまり同性愛・異性愛の隔たりを感じる必要は無いと思います。大切なのは、なぜ”愛情”や”増殖”といったことが生物にあるのかであって、今までは愛情によって増殖も補助されていたのに、同性愛者は愛情または性欲だけが立ってしまった状態で、一般的な見地からイレギュラーであることは確実だと思います。そこを、如何に説明するかによって、この問題は解決するのではないでしょうか。