▼ABCさん:
ご返信ありがとうございます。
残念ながら、教育の責任に関して医療と同程度に明確な点が多いです。もちろん、医療でも隠蔽工作などを行う人間や医師として不適格な人間も多数います。ただ、これが現在やっと改善されつつある流れにあることは事実です。
それに対し、教育の学力水準が下がって原因は2つで、1つは文科省の指導要領のミス。もう1つは現場教師の実力不足。の2つです。これ以外には、家庭力の低下が認められますが、それを差し引いても2つの原因は大きいと思います。
いじめの問題について、先生が黙認しているケースは非常に多いです。次に、授業中にいじめが起きていること、休み時間中は教員が生徒を管理できていないこと、の2点を挙げるだけでも、教員の責任は確実にあります。まず、管理責任者である校長、次に学年主任、そして担任に責任があり、担任と校長が最も責任が重いでしょう。
次に、教科書ワークに関しては、学校に自由裁量権が認められています。事実、その経費もきちっと存在しています。しかも、それでも購入不可能な場合は、指定図書として生徒に買わせることができるはずです。しかも、それでも無理な場合は推薦図書として、図書館に置くか、生徒たち”この参考書いいよ”と言うことも可能です。にもかかわらず、学校の先生が推薦する教材や、良いというワークに限って特に中学は良いものがありません。
次に、塾にも底辺の学生さんは来ます。それにあわせるのが教育ではなくて、向上させるのが教育です。せめて、偏差値50まではあげてあげたいと思うのが、塾の講師でしょう。そして、学力を下げないようにすればいいと考えるのが、またはカリキュラム終わってればいいと思うのが教師ではないでしょうか。
そして、面白い試算があります。ついに、東大合格者で塾に行っていない人間の変化の割合が増えてきたということです。これは、お金がなくとも十分日本最高の大学にいくことぐらいはできるようになりつつあるということと、実はお金がないといいながら、奨学金や各種の補助金制度を知らない人が多すぎる現状もあります。私自身、母子家庭ですが一応大学に通っています。一般家庭よりは年間の収入は少ないと思いますが、それでも何とか大学に通うことは可能です。問題はあきらめてしまっていることではないでしょうか。
教師の衰退と市場原理は実は一致しません。なぜなら、十分に教員は給料をもらっているからです。もらっていないと仮定したとしても、昔からもらっていない点は変わらないということになります。つまり、現在と過去の教育水準が変わったのであれば、それは教員の質が換わったということになります。であれば、現在の教員の質を考えると、低くなったといわざるを得ないのではないでしょうか。 JING